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note更新、止められず


いつまでも
 毎日更新が完結しない!!

©︎芥見下々・集英社


365日の連続更新で身に付いてしまった「とにかく1000文字の文章を書こう」という習慣が未だに抜けない。
完全に止め方が分からなくなっている。
1000日連続1000文字更新などは絶対にやりたくないが、365日を越えて尚、ここで止める事が勿体なく感じてしまう。


今の自分は、坂道でブレーキが壊れたまま走る自転車のような状態なのかもしれない。
誰かに横からドロップキックをしてもらわなければ止まらないのかもしれない。


自分や周りの身にとんでもないアクシデントが起きれば確実に更新は止まると思うが、「アクシデントで更新が止まる」という文字列を見ると、かつてほぼ365日ラーメン◯郎の食レポを投稿していたアカウントの最期を思い出してしまう。

トモロウの365日更新よりも物理的に命を削っているので、この人物の背中が遥か遠くに見える。すでにこの世にいない可能性もあるので余計に。

というか『アクシデント』という単語そのものにこの光景を幻視するようになってしまった。
典型的なミーム汚染と言っていいだろう。


ちなみに、上記アカウントと同一人物であるとする説が濃厚である独特の語彙のアカウントも2018年から更新をスタート(リスタート?)している。



…が、こちらは2019/05/02を最後に、サヨナラも言わずに失踪してしまった。


完飲て。
彼のアカウントを覗くと、恐らくはほぼ全ての食レポにその文字が存在する。
命削りすぎるって。

先に紹介したアカウントで語った『アクシデント』が何を指しているのかは不明だが、想像に難くない。怖すぎる。
しかし、自分も自己満足のためだけに365日何かを継続する事を決めたタイプの人間であるため、彼の活動の中に見える矜持や意地のなんたるかは少しだけ分かるし、尊敬もする。
真似はしたくないし、できないが。

なんというか、独身の中年以降に多く見られがちな傾向だが、自身が行う趣味に「枯れていく自分」「終わりに近づく自分」を搭載して活動する『破滅願望的』『自傷的』な突き進み方をする男性が昔からそれなりに居る気がするし、男性的世界観の美学のいくつかはそれに則っている部分も多い気がする。



トモロウはまだマレーシアのクアンタン、そのなんでもない海辺に家を建てる事ができておらず、買うだけ買って手を付けていない本にも触れる事さえできていない。
Twitterを見れる機会は以前よりも格段に増えてきたが、フォロワーの配信に再び参加するには至れていない。
誰かの配信に参加するという行為そのものの自然なやり方を忘れてしまっている節もある。
例えば、10年ぶりに野球のバットで素振りを行ってみたとすれば、その所作にはどことなくぎこちなさが表れると思うし、今の自分が行う「配信に参加する」という行為にも同じ様な不自然さが見られるはずだ。


…というのは完全な自意識過剰だが、これも文字数を稼ぐための癖になってしまっているという自覚がある。悩もうとして悩んでいる。

深夜に眠れず、ぐるぐると悩みが止まらなくなる経験をする人が多いように、ネガティブや自意識過剰は思考を加速させる。
正直言って自分は一時的なネガティブを発生させて字数を稼ぎ、記事を書き終えればそこに綴った悩みなどは昨日の星座占いほども覚えていないという事の方が多い。

現に「フォロワーの配信に参加できない」という問題も、根本的な原因は単に配信時間中に他の誰かと会話をしていたり別の用事を進めているだけだったりする事に気付いた。
ぎこちなさ云々は後付けの理由となる。




フォロワーの配信に関しては追々合流するとして、少なくとも心を落ち着けて読書をする暇くらいはすぐに作りたい。

なんでもない海辺に家を建てよう。

買うだけ買って手をつけていない本が山ほどある。

1ページずつ
今までの時間を取り戻すように
めくるんだ。

©︎芥見下々・集英社





























1ページずつ

今までの時間を取り戻すように

めくるんだ。
















サツバツ‼️

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