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気遣い

 私の母は性格が激しく、落ち着いてお互いを分かり合うような会話をしたことがない、というのは言い過ぎだけど、基本はそーゆーのができない人だった。
 去年「発達障害ASD積極性奇異型」というものの特性を知り、あまりにも母そのまんま!だったので、子供の頃から縁を切るまでの、全ての謎が解けたような気がして、すごく安心した。

 前置きが長くなったけど、子どもの頃、母に言われて嫌だったことの代表が
「いうこと聞かないなら返して!」
だった。
 おこずかいもプレゼントもおやつとか細々とした何もかもで、そうやってコントロールしようとしてきたので、一時真似して弟にもそう言っていたら「じゃあいらねぇよ!」と返されて、「あ、やっぱりこれ言われたら嫌だよね。」と変に納得したことがある。母にされて嫌なことを、弟にして反応を見て、やっぱり嫌だよね、というのを確認してみていた。「あんたは、うちの子じゃないよ、橋の下で拾われてきたんだよ。」とか。
 長女でかばってくれる人がいなかった私は、そんな感じで直接、母から嫌なことをたくさん言われてきたけれど、母自身「人が嫌がることを言っている」という自覚も客観性も一切なく、ただひたすら、感情をぶつけて子どもをコントロールすることを「子育て」だと思っていたようだ。
 母は三姉妹の真ん中で、叔母であるお姉さんも似たような性格だった。姉妹でよく
「私のあの着物あんたが持ってるんじゃないの?取らないでよ」
 とか
「この前あげたあれ、やっぱり返して」
 とかやり合っていて、仲がいいのかと思いきや、口喧嘩やののしりあいも凄まじく、電話を切った後に延々と姉の悪口を言い続けることも多かったので、弟しかいない私は「姉妹」というものが本当に嫌いだった。
 私は親族の中で唯一の女児だったので、ファッション好きの叔母が、私に服を買うのを楽しみにして、しょっちゅうプレゼントしてくれていた。母よりもセンスが良く可愛い服ばかりだったので私も嬉しかった。が
「あんた、私が買ってあげた服、全然着ないじゃない。おばさんからもらった服ばっかり着て!もう買ってやらないから!」
 と母親から責められることもあって、母からモノを買ってもらえないのはとても困るので、叔母からのプレゼントを素直に喜べなくなってきた。さらに小学校高学年くらいになると、自分の好みが出てくる。叔母が着せたい服と私が着たい服は違っていた。昔だけど、小学生の中にも一応流行りはあった。市内のジャスコ(現イオン)に置いてある服ではなく、駅近に店舗を持つ子供服セレクトショップで服を買ってもらうのが、当時のステータスだったし、パーカーの上にジャケットを重ねて着るなどの流行りもあったけど、流行に疎いうちの母は「子どもなんだから安い服でいい」と選択の余地さえ与えてくれず、知り合いのお姉さんからのお下がりを着たりしていた。
 あ、この話にはオチがないです。
 ま、子どもの頃からこんな具合で、母と母の周りの人に気を遣ってばかりいた。そのくせ気を遣っていることをバレてはいけないと思って、本人たちの目の前ではことさら無邪気さを装う、とても疲れる小学生時代だった。てゆうか、自然とそれやっちゃってるのがすごいというか怖いというのか、でも、ふつうか。
 こんなことを思い出しました。

あ!そーいや子どもが卒業式に出るというので
ジャケットを買ったわけ。本人は送る側だから、ガチ正装じゃない方がいいかな、と思ってあえてペラッペラのを買ったんだけど、届いてみたら不安になるくらい薄かった。でも、本人が選んだコーディネートで着せてみたら、なんということでしょう、イマドキ小学生男子の出来上がり!

 着るもので人って全然違って見えるなぁと、あらためて驚いた。昔は可愛いキャラものが好きだったけど、最近黒・シック・カッコ良い系を選ぶようになってきて、本人の選んだモノって、今の本人にピタッとハマるんだなぁと、親バカが止まらない母なのでした。
 子どもに服買ってあげるのって楽しいよね。


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