本を読もう

「欧米人は狩猟民族だが、日本人は農耕民族」
私たちはよくこういったフレーズを良く耳にしますし、実際こういうフレーズは大多数の日本人のコンセンサスが得られた「事実」として、あらゆる場面で再利用されています。日本に閉じこもって国内のお客様相手に商売するのであれば、特に困りはしませんが、国外のお客様相手に商売し、かつ、その国に暮らすともなると、こういった常識が相手国や自国を理解をする上で障害となる場合もあります。
また、歴史というのはそれぞれの国家が創作し、公教育という機関を使って国民に流布する「物語」でもあります。そこには後世の様々な人の思いと、解釈が入り込みます。私たちが学校で学んだ歴史もその解釈の一つに過ぎません。
私が実践し、後輩諸君にも勧めること。それは簡単なことです。
赴任が決まったら、その国に関するありとあらゆる本を片っ端から買って、読むことです。
読まないにしても、ざっと見て良さそうであればとりあえず買って赴任国に持っていくことです。最近、良書であっても本はあっという間に絶版します。買える時に買わないと一生手に入らなくなる恐れもあります。
私も本を読むことで多くを学びました。ヨーロッパの人たちを例にとれば、ギリシャは海洋民族国家とも言える特徴を華やかなりし頃には持っておりましたし、地中海を中心に栄えたローマ帝国のローマ人は小麦を中心とした農耕民族でした。周辺(今の北イタリア~フランス~スペイン)に暮らすケルト人(ガリア人)は、中央アジアから騎馬や馬車で移動してきた人たちですし、深い森の中で暮していたゲルマン人はまさに狩猟民族といって良い暮らしをしてきた人たちです。このように見ていきますと、単純に「欧米人は狩猟民族」という言い方が出来なくなりますし、このようなフレーズを聞くと違和感を覚えるようになります。現実は非常に多様性に富んでいるのです。
一方、「島国」「農耕民族」の日本を例にとってみましても、現在最初の日本人と考えられている人たちは、日本と大陸本土とが陸続きであった頃(約2万年前?)から、中央アジアから渡ってきた狩猟、採集民だったと言われています。農耕民族の祖先は、そこから更に下って約2300年前に東南アジア諸国から日本の南部に舟で渡ってきた人たちです。その稲作は中国の長江から伝来したと言われています。日本は島国ですが、島になる前に大陸とつながり、人々は驚くことに徒歩で移動してきました。また確かに近代史を見れば鎖国政策を取り、そのことが現代日本人の「島国根性」とも言える精神性に少なからず影響を与えていることは事実ですが、そのずっと前に私たちの先祖とも言える人たちは、この島に舟で渡ってきた人たちでもあるわけです。(どうでもよいことですが、私は初対面の人にあった瞬間に、その人のことを「大陸系北方の日本人」と「南方系日本人」に分類してしまう悪い癖があることをここに白状します。)
イギリスに暮らす機会がありいくつか関連する本を読み、アングロ・サクソン人とは、ゲルマン民族の北方辺境部族であり、ブリテン島に渡ったこの部族民の中で、サクソン人と呼ばれる人たちが、現在のイングランド人の基礎となっていることを学びました。一方ロンドンの書店で子供向けの歴史書をパラパラと捲って見ても、そのような事実はどこかに忘れ去られ、歴史的に見れば、戦勝国占領民として移り住んだ敵国とも言える「ローマ帝国」を自分たちの国の礎の一部として大きく描いています。イギリスに暮らすと良く分かりますが、イギリス人は熱心にローマの遺跡を掘り起こしそれを大事に保存し、大勢のイギリス人が訪れています。私には、どうしてもイギリス人は自分たちのルーツをゲルマンではなく、ローマに求めたがっているようにしか思えません。このあたりの考察については、私自身まだまだ研究が必要です。
またドイツで暮らした時には、こういうこともありました。私事になりますが、私の曽祖父は海軍技術者で、当時最新の潜水艦技術を持つドイツに渡り、その技術を日本に導入することで日本の潜水艦技術を飛躍的に高めるとともに、長門を始め日本の主力戦艦のタービンを設計した(と祖母から子供の頃聞かされておりました)ので、ドイツには赴任前から大変愛着を持っておりました。日独伊三国同盟や、共に先の大戦での敗戦国ということもあり、そういった意味では歴史的摩擦の少ない国とも思っておりました。ところが、いくつか戦争に関する本を読んで、そう単純な話ではない、と思うようになりました。
戦争中ドイツ軍の通信はエニグマと呼ばれる暗号機で強固に暗号化されていました。連合国軍は血眼になりこれを解読しようとしましたが、なかなか解読できませんでした。最終的には解読されたのですが、それより遙か以前より、ドイツが同盟国である日本に対して送信した内容が、日本軍内部の通信を通じてアメリカに伝わり、連合国軍に漏れていたのです。日本の暗号化技術がそれだけ稚拙であった、艦船撃沈の際の暗号機とその関連書類の破壊運用が徹底されていなかった、という極めてお粗末な状況だったようです。万が一にもドイツには勝ち目はなかったでしょうが、日本の通信内容が漏れていたことが、ドイツの敗戦を相当早めたことは複数の歴史家の目から見て間違いない事実のようです。私は怖くて、同僚のドイツ人にこの事実を知っているかどうかを聞いたことがありませんし、このような事実がどれだけ一般的に知られているのかは分かりませんが、少なくともそれ以降は、いくら酔っ払っても、「日本とドイツは同盟国で仲がいい」という無邪気な発言が出来なくなりました。
もう少し歴史を遡れば、日英同盟により、当時青島を租借していたドイツ軍を日本軍が攻撃し、当時日本で暮らしていた多くのドイツ人の若者が戦地に赴き命を落としました。現在多くの日本人が訪れる観光名所でもある神戸北野の異人館と呼ばれる家で幸せに暮らしていたドイツ人夫妻の息子さんが、日本との開戦でドイツ軍に徴兵され、青島で命を落としたことはあまり知られていない事実です。また、青島陥落時、日本軍は、ドイツ軍人のみならず、ドイツ民間人を人数合わせのために違法に捕虜として日本に強制連行、強制収用したことも事実です。こういった民間人捕虜の中に一人のケーキ職人がおり、捕虜収容所外国人による物産展でドイツのお菓子であるバウムクーヘンを焼いたことが、日本にバウムクーヘンが紹介された瞬間であったそうです。(この物産展は、広島で開かれ、その建物は今でも残っています。ただその建物は、現在「原爆ドーム」という名前で呼ばれています。)この人、名前をユーハイムと言いますが、日本に残り、神戸で喫茶店を開きましたが、第二次大戦中の疎開先である六甲山のホテルで病気により亡くなられました。戦後彼の奥様は、連合軍から敵国民として本国に追放処分となりましたが、ご主人の意志を引き継ぎ、数年を経て再来日し、喫茶ユーハイムを復活させ、その後の高度経済成長の波にも乗り、ユーハイムは今では日本でも有数の洋菓子メーカーにまで成長しております。バウムクーヘンはドイツのおいしいお菓子ということは知っていても、日本が民間人を捕虜として不法に強制連行したことがきっかけで伝来したことや、バウムクーヘンが広く日本で広まった陰に、ユーハイム夫妻のこのような波乱万丈の物語があったことなどはあまり知られていないのではないでしょうか。

本を読むことで、赴任国やそこでの人々に関する「知識」を得ることはもちろんですが、その国に関する、もしくはその国と日本国との間に横たわる「物語」に触れることで、自分の心の感受性のひだが一枚増え、物事を理解する際の多面的な見方や、複雑な事柄を単純化することなく、複雑なまま自分の心に受容できる「深み」が出るように思います。

最後に、本の具体的な読み方に関しては、
「レバレッジ・リーディング」 本田直之 (東洋経済新報社)
を私は参考にし、実践しています。赴任前後は仕事も生活も忙しく、絶対的な時間がとれません。とにかく多くの本を大量に短時間で読まなければなりませんし、特に事実や知識を拾うことが主眼となるような読書では、この本に書かれたメソドロジーが大変役に立つでしょう。


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