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反パクチー活動家からのメール life954

R.N. 六等星

 ここ30年で定着してしまった食べ物、それはパクチーではないでしょうか。先に表明しておきますと、私はパクチーが全く受け入れられない派です。

 パクチー大好きな人に囲まれて日々苦労しています。数年前まではパクチーは苦手な人も多いから配慮するという認識が共有されていたと思うのですが、ここ最近の体感ではみんな大好きパクチーという感じで当たり前のように奴がありとあらゆるメニューに鎮座ましましており、もはやパクチー入りであることが明記されていないトラップメニューも増えてきてしまいました。

 納得いかないのは他の食べ物が嫌いだと話しても「そうなんだー」程度の会話になるのに、パクチーを嫌いだというと「いや私も最初はそうだったんだけどさ、これが変わるんだよ。食べてごらんよ。この美味しさがわからないままだと損だよ」など、かなりの確率でそのままパクチー啓蒙モードになることです。

 私はパクチーに対してはできるだけ接点を持たずに暮らしたいと思っているので、パクチーは「持たず、作らず、持ち込ませず」だよと、日々非パク三原則を訴えているのですが、「えー。俺家でパクチー育ててるよ。育てやすいよねー」とか、逆にその場がパクチー育成あるある話になってしまいます。まったくけしからん奴らです。

 私はパクチーに接することなく暮らしたいだけなのです。パクチーを避けるために奴の形状様々な別名など多くの知識を身につけ防御しているのですが、ここまで話すと「逆にめっちゃ興味持ってるじゃん。好きなんだよそれ」とまさかのパクハラがはじまるのもしばしばです。このまま反パク活動家として暮らしていくしかないのでしょうか。平成の終わりにみなさんパクチーからも卒業してみませんか。

テーマ

食の平成史~この30年で食べるようになったもの/食べなくなったもの

メールテーマ

「平成の30年間で『食べなくなったもの』『食べるようになったもの』はなんですか?」

メモ

パクチーブームの話から、家計調査から見る食の変化の話になり、最終的にカレーの話になって議論がヒートアップします。2018年にレトルトカレーの消費がカレールーの消費を超えた話が紹介されたり、中国のカレーマーケティングの話や、最初のジャパニーズインドカレーは想像で作られたとか面白い話が飛び出します。

セロリは最初西洋三つ葉とよばれていて、茎ではなく葉の部分を食べていた。山崎まさよしの「セロリ」を今作ると「パクチー」って曲になるんじゃないかって話は爆笑です。

私の大好きな『人はこうして「食べる」を学ぶ』も紹介されています。第8章 変化――日本食と食育の話ですね。食は生まれよりも育ちによる部分が大きいという話をした後で、日本人が健康的な食生活を送って痩せているのは禅のマインドがDNAにインストールされてるからじゃなくて、第二次世界大戦後のたかだか50年くらいで食文化を変えたんだ。味覚と食文化は保守的だけど絶対に変えられないという訳ではない。という内容です。ビー・ウィルソンの著作はどれもおもしろいのでぜひ読んでみてください。

あとはこの辺とか

参考


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