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後悔と自業自得

友人の旦那さんが亡くなっていたことを、今更知った。

しばらく連絡を取っていなかったんだけど、ちょうど1年前にFBのメッセンジャーで連絡があって、末期の癌だって聞いて。その時のやり取りを見返してみたけど、本当にあたりさわりのない言葉しかかけれなくて。周りで人を亡くしたことが無かったから、どうしていいか分からなかった。もっと連絡取ればよかった。もっとできる事があったんじゃないかと、今更後悔が押し寄せる。

祖母が亡くなった時、母はどうしていただろうか。亡くなる前から要介護の状態で、入退院を繰り返していた祖母。私は昔から母の事がキライだった。おばあちゃん子だった私は、介護を必要とする自分の母親(祖母)につらく当たる母親の事を理解できなかった。東京で働いていた私は、他人事のように亡くなった事実だけを受け止めたけど、母は、亡くなろうとしている祖母とずっと一緒に向き合っていた。母は何を考えていたんだろうか?自分の母親がだんだん子供の様になにも出来なくなっていく姿を。排泄の介助からご飯の支度、病院への付き添い、入浴介助。日々介護をしていた母の事を誰がケアしていたのだろうか。

私は母に何かしてあげられていただろうか?

祖母の葬儀で声もなく涙を流す私をみて、母は「おばあちゃん子だったものねぇ」と優しく言った。初めて人の死と対面した私には、母の事をおもんばかる事などできなかった。孫の私より、実の娘の母の方が辛いという当たり前のことすら、気が付くことができなかった。


後悔は後になって気づく。それも連鎖的に。一つの後悔によって、他の後悔に気づかされる。「自業自得」とは、本来ネガティブな意味だけではなくポジティブな意味も含まれるという。誰かにしてあげられなかったことを悔いるより、この後悔に気づけたことに感謝しよう。

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