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「僕の大好きな妻」第7話

発達障害の診断を受けて、コンサータと共に生きるえでぃです。


僕妻、見ました。

「売れ残りの在庫だけに、ここからここまでの服にシールを貼ってください、バーコードを隠すように貼ってくださいと、そこまで細かく指示しなくちゃいけないんですか?」

というところで、「そうだよ」とつぶやいた私に対して、見終わった後に旦那と討論になった。


定型(旦那)「”そうだよ”って言ってたけどさ、当事者目線で見たら当たり前かもしれない。でも、普通はそこまで言わないよ」

発達(私)「だからこそ、言いづらいけど、カミングアウトしたんでしょ!」

定型(旦那)「家族とか身近にいれば、理解しようと努力するけど、そうじゃなかったら、カミングアウトされても、”で?”で終わると思うよ。どうしていいかわからないと思うよ」

発達(私)「そうなのかなあ?」

定型(旦那)「だから、”シール貼りを、前にやったことあるか”聞いてたじゃん。そこで、”はい”って言われたら、言わなくても分かると普通は思う。」

発達(私)「あ、え、それってそういうことなの??前にやったことがあるなら、売れ残りの在庫だけにシールを貼るってわかるよね?って意味だったの?」

定型(旦那)「そういうこと。家族が診断されたとか、身近にいないとそこまで親身になれないと思うよ。俺だって、お前がそうだからなんとなく分かるけど、完全にわかってるとは言えないし。学校の授業で取り上げたらいいのにね。小さいうちにこんな人もいるんだって知識としてあるのとないのでは違うと思うよ」

発達(私)「なるほどね!!でも、発達障害ほど難しいものはないよね。特性なんて、100人いれば100通りだから」


ここまで読んでどう感じたでしょうか?


前にやったことがあるか聞かれたことが、「やり方が分かるか?」ということだと分からない。

そもそも、以前やったことがあったとしても、場所も違えば、人も違うので、そこがイコールでつながらない。

「倉庫の在庫に貼っておいて」と言われたら、言葉通り倉庫の在庫の服全部に貼ってしまう

それが発達障害です!!!



そもそもこんな会話が出来るようになったのは、コンサータのおかげです!!以前の私は、人とまともに会話することすら出来なかったので(笑)

自分の気持ちと相手の気持ちが違うことも、診断を受けて薬を飲んだから気づきました。

いつも「でも」から始まる会話しかしていなかったので、旦那も否定されてばかりいたら「もういい」となるのは当然ですよね。考えが違うと思っても、あからさまに否定せず、一度受け止めることがとても大事だと学びました。

そして、具体的な説明がなくても、言葉の裏の意味に気づくことが出来るようになったこと。これは正直、分かるようになったからこそ、辛い時もあります。こんなに辛いなら、分からないままの方が良かったと思うこともあります。(だめですけどね(笑))


そして最近「過剰適応」という言葉に出会いました。

自分がまさにそうだなと。今までの人生で、自分の感情を抜きに周りに合わせたほうが良いと学んできてしまったことで、とりあえず分からなくても笑顔で頷く。

集会で、会長がみんなに問いかけているのに、みんな無反応。私は慌てて話に合わせ頷いてしまった時に、気づきました。

考えが違うのは当たり前だけど、すべて合わせる必要はないと。じゃあどうするのか。定型社会では否定することは相手を傷つけるそうです。あえて反応しないという方法を取ることで、「それはちょっと・・・」という意思表示をすることになるそうです。


そんな世界、正直発達当事者には分からないのです。薬を飲んでいても分からないのです。

だからこそ、理解のある環境というのが、一番大切なのですね。

私は最近、定型社会で関わった人にも少しずつカミングアウトしています!!でもそれは、理解して欲しいという意味ではないです。”発達障害というものを持っていますよ”と伝えておくだけで、何かあったときに、これは障害の特性のせいかな?と思ってもらえるだけでいいのです。


カミングアウトしてみると、意外な人が理解を示してくれて寄り添ってくれたり、そこから生まれるものもあったりして、面白いなんてこともあります。

自分の出来ることでいいんです。

少しずつでいいんです。

理解してくれる人に助けてもらいながら、やりたいことが出来たら最高ですね。