ミセスグリーンアップル【コロンブス】

ミセスグリーンアップルの新曲「コロンブス」のMVが波紋を呼んでいます。
コカコーラとのタイアップで作られ公開されたこの楽曲ですが、MVの演出が「差別を彷彿とさせる」と言われているのです。

ざっくり説明すると、ミセスグリーンアップルのメンバーが演じるコロンブス、ベートーベン、ナポレオンの三人が500万年前の類人猿たちのもとを訪れ、音楽や乗馬、天文学などの西洋文化を教えるというストーリー。
MVの中では、類人猿が人力車をひいてベートーベンを乗せているシーンもあり、全体的に西洋人が行った奴隷制度を思い起こさせると波紋を呼んでいるのです。
事実、これはコカコーラとのタイアップ曲でありCMでも使用されているので、このような炎上をしてしまったことはPR施策として失敗でしょう。
これから彼らやコカコーラがどんな対応をとるか分かりませんが、楽曲に対する現段階での個人的な見解を書いてみます。
なお、意外とあっさり謝罪&MV非公開で終わる可能性もありますので、一考察として適当に読んで貰えればと思います。


【ヨーロッパに対する皮肉なのではないか】
楽曲への批判は主に「無知が故にこんなMVを何も考えずに作ってしまったのでは」「コロンブスの歴史的背景を何も知らず、猿に文化を教えてハッピーみたいなストーリーを作ったのでは」というものです。
是非一度MVを見てみて欲しいのですが、私はこの曲に幾つかの皮肉を感じました。
(ここから先はMVを見ていないと分からない話が続きます)

まず、冒頭の「コロンブスたちが類人猿のところへやってくるシーン」です。
ノックもせず、そーっと部屋の中に入っていったコロンブスたちは、類人猿の姿を確認すると、攻撃的なポーズを見せます。ナポレオンは一度、剣を抜きかけています。
ですが、類人猿たちがテーブルの上いっぱいにお菓子やらの食べ物を広げているのを見て、すぐ友好的な、大袈裟な作り笑いとポーズに切り替えるのです。
これは「自分たちより文明が進んでいない」と理解し、利用価値があると判断したからだと思います。

このように、MVには皮肉を意図していないと必要のないシーンがゴロゴロしています。ただの「コロンブスたち類人猿と一緒に仲良くハッピー!」を描きたい無知からきたMVなら、いらない場面が多すぎるのです。

他にも例を出すと、1分20秒ほどにある「ナポレオンが類人猿に乗馬を教える」シーンです。類人猿たちも馬に乗ることはできますが、ナポレオンは「もっと鞭を振るうように」と教えます。勿論そうすることで馬は速く走るからで、類人猿は喜んでそれを受け入れました。
動物愛護がこんなにも叫ばれる昨今、わざわざこんなシーンを入れるのはなぜか。後半部分の歌詞を抜粋しました。

【大人になる途中で僕は言えなかった
 文明の進化も 歴代の大逆転も 地底の果てで聞こえるコロンブスの高揚】

文明の進化は、当たり前に「いいもの」として受け入れられがちでした。鞭を振るうことで馬を速く走らせることも一種の進化です。人間都合で生まれたことです。
またコロンブスは少し前まで「偉大な冒険家」のイメージが先行していましたが、奴隷商人としての一面や先住民の虐殺を引き起こしたことからコロンブス像が破壊されるなど「歴代の大逆転」が進んでいます。このMVが大炎上していることこそがそれを物語っています。

ですがこういったことは子供の頃に理解するのが難しく「大人になる途中で僕は言えなかった」という表現に繋がりそうです。文明進化の裏側にはコロンブスのような、誰かから見て弱い対象に配慮しない、残酷な一面「コロンブスの高揚」が潜みがちです。

【あぁ 愛すべき名誉の負傷が 盛大に祝われる微妙が】
過去の痛みや失敗は、今後同じことをしないための学びになります。しかし、そうした背景を理解せず有名な名前に囚われて、私たちは歴史上の人物のファンになったりします。

MVの後半で、類人猿とコロンブスたちが、類人猿が死んでしまう映画を鑑賞するシーンがあります。コロンブスは目に涙を浮かべますが、その後のシーンでは変わらず、ベートーベンは類人猿のひく人力車に乗っていますし、彼らの関係性に変化はありません。
最後、眠っている類人猿を残し、コロンブスたちは次なる地へと向かって、MVは終わります。

繰り返しになりますが、ただのハッピーを描きたいなら、わざわざこんなに要素を散りばめる必要はありません。現在ミセスグリーンアップルやコカコーラは大炎上していますが、作り手側が受け手側より考えていない、なんてことはほぼあり得ません。「何も考えていない馬鹿」と括って叩くのは簡単ですが、創作の前には凡人には想像もできないくらいの思案と工程があるでしょう。

タイアップのPRとしては落ち度がありました。しかし音楽の表現としては、すぐ非公開にすべきなのか疑問です。

西洋人の犯してきた罪をイエローモンキーと揶揄される日本人が演じることは最大の皮肉であり、挑戦的だったと思います。
今後MVが非公開になるのか、謝罪があるのか分かりませんが、表現の自由にどこまで干渉するかも改めて考える必要があるでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?