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【雑記】その最後の一文、本当に必要?/しめきりですね

これまでまったくの我流で小説を書いてきた私、ある日ネットで知り合った方に「貴方は応用はそこそこ出来てるけど基礎が全然出来てない」と言われ、視点のブレやテーマの重要性、ログラインの書き方、プロットの作り方、感情曲線など、物語の根幹に関わる部分を丁寧に教示していただきました。

特にテーマについては、私が小説を書き始めた学生の頃に父から「へえ、小説書いたんや。テーマは何?」と尋ねられ、「友情!」とか「恋愛!」と答えると「ちゃうねんなぁ~」と一蹴されていました。
父は作家でもなんでもないですが、めちゃめちゃ本を読む人です。昔は小説ばかり読んでいて、最近は経済心理学や自己啓発、ゲーム理論などを好んで読んでいるようで。

ちなみに今の私なら、先日書いたものは「承認欲求(との付き合い方)」、今書いているものなら「責任能力とはどうあるべきか」と答えますが、どうだろう。及第点かな。

ともかく、アドバイスをくださった方のおかげでかなり成長できたように感じます。最近は地域のコミュニティや創作仲間、作家の方々と関わる機会も増え、アナログ的なインプットも充実しています。

そんな折に、とある作家さんが別の作家の作品を講評するシーンに居合わせ、「普遍性」の意味の捉え方など貴重なお話を色々と聞かせていただいたのですが、心に残った一言がありまして、ちょっと紹介します。

「最後に余計なものを付け加えるから野暮になる。本当にその一文が物語のオチに必要かどうか、じっくり考えてほしい」

「車のブレーキと同じだよ」と先生は言いました。
「赤信号で停まるとき、ブレーキを踏む。最後までグッと踏み込むと、車はガクンと停まるでしょ。そうならないように停止する寸前は、じわっと踏み戻す。そうすると、車は上手に停まる。これは小説も同じ」

飲みの席だったのではっきりとは覚えておらず、だいぶニュアンスですが、こんなことをおっしゃっていました。
私は運転がド下手くそなので、そのガクン!! となる感覚がよくわかります。運転と言ってもペーパーなので数えるほどしか運転していませんが、とくに原付のブレーキが下手くそでした。公道に出たら事故るレベル。

まあ私の運転スキルのことはさておき、先生がおっしゃるには、その一文がなかったら物語はスムーズに終止していたのに、という作品が多々あるそうです。オチの一文が急ブレーキになっていて、「そんな落とし方?」と読者はびっくりしてしまうのだとか。

逆にその急ブレーキが効果的に働くこともあり、物語の風呂敷を広げ過ぎて言いたいことがぼやけそうなときは最後の一文でギュッと結ぶこともあるそうですが、あまり好ましくはないらしいです。

小説素人の私がそこに気を遣う域まで到達するにはまだ何年もかかりそうですが、心に留め置いておこうと思いました。

……というわけで、あと1時間で創作大賞の締め切りとなったわけですが。

長編はプロローグをアップしたきり、何にも進みませんでした!!!
主人公が副主人公に命を救われるシーンを書きたくて色々考えていたら、事件が起こったら推理小説だな~いっそミステリにするかなとか、これもうガールズラブのほうがしっくりくるなとか、脳内でストーリーが迷走して。

オチは決めています。でもちょっと目標が遥か彼方すぎた。達成しやすい目標設定を立てて計画的に取り組んだら、あと数話は更新できそうでした。
長いお話って難しいですね……。

「オールカテゴリ」にはエントリーしますが、多分箸にも棒にもかからないと思うので、ちゃんと仕上げるのは12月の文フリあわせにしたいと思います。

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