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力みを手放す


夕方のバッティングセンター。

ずいぶん熱の入った親子がいた。


お父さんが昔野球をかじっていた様子。


息子に対して

「何でできないの?もっとこうだよ!」

「これくらいできないと」

「そんなんじゃ...」

などなど

わりと口うるさくアドバイスをしていた。


子どもの目は死んでいた。


反発や言い訳もしない。


死んでいる。


上手くなって欲しいという親の力みは

子どもを潰しているように見えた。


もうさ

多分帰ってご飯でも食べたら明日にでも上手くなるよ。


お父さんもおつかれ。

ビール飲んでゆっくりしたらいいよ。


純粋にそう思った。




でもこれさ、自分自身でやるよね。


なんでなんでって。


こんなに腹が出てるなんて

こんなにだらしないなんて

そんなんじゃダメだ、もっともっとって。

私も以前は

自分の身体が好きじゃなかったので

ものすごく自分に対して責める心があって

自信がなくて

認められなくて

ずっと自分ではない誰かになりたいと思っている人間だった。



だから生活のあらゆる場面で

「やっぱり私ってこうなんだ」

というマイナスな現実も作っていた。



全て自分が作ってきた現実。



身体自体もまさにそうで

コンプレックスを嫌と思えば思うほど

その思考が実現していた。


ある意味思い通りの身体だし

思い通りのリアルを生きていたのだ。




本当に力みはいらない。

そもそも既に力んでいるところに力を入れても

なんの作用もはたらかない。

緩んでいるから、力を入れた時に作用できる。


自分が力めば周りにも抵抗を生むし

何より力みで自分を潰してはならない。



良いものをたくさん持っている。


そもそも人は元来素晴らしい設計をされているから

安心して委ねて信頼できるといいよね。


いつでもどこでも誰にでも。


やさしくやわらかく。

ゆるゆると。

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