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31年前の祝辞を今読んで思うこと

平成元年って今から31年前・・・
その年に私は大学を卒業しました。平成元年就職組、バブル景気真っただ中でした。もうすぐドラマ「半沢直樹」が放映されますが、まさしくその世代です。平成元年3月18日に卒業したんですね、わたし。そういえば娘の卒業式は令和2年3月18日でした。

「人の己を知らざるを患えず人を知らざるを患う」

この言葉を恥ずかしながら最近知りました。この写真の印刷物は大学から頂いた卒業祝いの記念品の中に入っていた学長からの祝辞です。卒業祝いの品を30年以上も経ってから封を開けるという失礼な話です。ですが、この祝辞を読んだとき、心にグッとくるものがありました。探し物をしていた時に出てきたこの一枚の紙。何を探していたのかすっかり忘れて何度も何度もこの文章を読み返していました。

「人は、自分が他人から認められないと失望し、くよくよ気にするが、それよりも他人の良い点を認めえない自分を思いわずらう人となってほしい」
と意味も書いてありました。論語の中にある言葉だそうです。

学長はこの祝辞の中で「組織の中で多くの人々とともに働くとき、どんな人からでも、何かを学ぶ気持をもって接し、人間関係についてのすぐれた智慧を体得して、生き生き仕事のできる心豊かな人物となってほしい」と仰っています。

どうしてこの言葉を今わたしは目にしたのだろうと考えました。
もしこの言葉を大学卒業時に目にしていてもきっと今と同じようには受け止められていなかったと思います。社会に出てお金を稼ぐとはどういうことかという厳しさや喜び、また人の生き死にや新しい家族との出会いなどいろんな経験を経て、多少なりとも大人になった今だからこそここまで心に響いているのだと思います。

人の良いところを探すって簡単なようでわたしにとっては難しいです。ついつい人のあら探しをしている自分がいます。そんなことしていても何も前には進まないのに。自分が前に進めないいいわけを探しているだけのように思えます。進めないのではなく進もうとしていないだけだということに気づかないうちは、いつまでもそこにいつづけるんだろうなとも思います。

また「人間関係についてのすぐれた智慧を体得」することも目指すことの一つです。知識として頭の中にあったとしてもそれを実践できなければ体得したとは言えないと思います。それにはまだまだ経験が足りません。

そんな時にあまりにもわたしの愚かな心を救ってやろうと、この祝辞に出合わせるために探し物をするように仕向けられたのかもしれません。

偶然ってないってわたしはいつも思っています。偶然も必然。良いことも悪いこともちょうどいいタイミングでやってくる。チャンスならそれをつかめるように、良くないことなら最小限のダメージで通り抜けらるように、常日頃から訓練を怠らないようにと心掛けています。

30数年前にご縁あって通っていた大学。学長とは直接面識なんてなかったと思いますが、こうやって卒業後はるか歳月が経ってからでもわたしの心に響く祝辞を頂いたことに遅ればせながらではありますが、感謝を申し上げます。


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