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「みんな仲良く」という幻想に気づく

「みんな仲良く」幻想が、苦しみの原因になっていることがあるんじゃないかなと思います。

お友達関係でも会社でも、みんなと仲良くできないと、クラス運営がうまくいかない、パフォーマンスがあがらない。

そりゃそうだ、みたいなところもたしかにあるのですが、「仲良くする」という言葉の解像度をもう少し上げてみるべきではないか、と思うわけです。

みんながお互いのことを好きで? みんながみんなのことを思いやって? みんなが協力しあって成り立っている関係?

眩しすぎて視力が落ちそうです。

「みんな仲良く」を、学校なのか家なのかメディアなのか、どこかですっかり刷り込まれたおかげで、こじらせてしまっている大人が結構多い気がします。はい、私です。

できればみんなと仲良くしたいし、争いごとよりは仲良くいられる環境にいたい。

と、ずっと思っていました。

仲が悪いことに恐怖心があるのかもしれません。仲が良いことに、憧れがあるのかもです。仲良くすることが正義で、仲良くできる人が多い方が、世界が平和になると信じてきました。

でも、世の中は争いごと、憎しみ合い、ののしりあい、、、に溢れている。私が仲良くできても、仲良くない状況は、依然としてある。


中高生向けの「ちくまプリマー」シリーズ、面白いです。小論文の課題文研究でいくつか読んだのですが、こちらの作品「大人が読むべきかも」と思いました。

著者、社会学者、菅野仁さんは、ムラ社会の時代には必要とされた同調圧力のようなものは、いまの時代には合わない、にもかかわらずその名残でそれをよしとする風潮があると指摘します。

当時は、同質性、共同性がないと、ムラがなりたたなかった。直接的な人間関係のなかで、人はいきのびていく必要がありました。

でもいまはどうか。

人とかかわらずとも必要なものが手に入り、個人がしたいことを実現できる社会になり、間接的に人や世界とかかわることのほうがスタンダードになった。

このとき、大事なのは同調することよりも、「併存性」だ、と菅野さんは解きます。


並存する。共存する。

そのためには、やりすごす。距離をとる。


こういう関係を、もっと肯定的に、前向きに、とらえらえていきませんか、という提案にはうなづくしかありません。

(文章も読みやすくわかりやすいのでぜひ!)


身近なことでいえば、夫婦も同じです。

仲良く、楽しく、お互い支え合っていくべきだ、そりゃそうだ、と思うのですが、そうもいかない時もあります。

お互いがいつだって尊敬しあっているパートナーシップに越したことはないですが、「なんやこいつ」みたいな時、私はある。

こいつ、ってなってる瞬間て、相手を責めたいんじゃないのですよね。

「どうして理想の夫婦のようになれないのだ」と隣の青々とした芝生を追いかけて死にそうになっているんですよね。

「みんな仲良く」が、こういうところにも染み付いていると感じます。


なんとなく、友だち幻想、夫婦幻想で苦しんでいる人も、多い気がして。もっと高い位置から眺めてみたら、幻想が見えてきたりする。

人間関係の悩みは、視点を少しかえてみることが、非常に有効だなあと。


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