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短歌鑑賞・西巻真歌集『ダスビダーニャ』より

斜線のみになりたる戸籍謄本のひとすみに我の名は残れり

西巻真歌集『ダスビダーニャ』

 一度目の結婚の時に、故郷の自治体から戸籍謄本を取り寄せた。既に父が死亡していたので戸籍筆頭者は母だと思っていたのだが、筆頭者は父であった。戸籍制度とは本当に素っ頓狂な制度で、つまり、父は死亡しているから戸籍から除籍されてはいるのだけれど、戸籍筆頭者ではあるのだ。私は、死者の戸籍の「子」であったのだ。
 この歌も似たような事情だったのではないか(作者はご結婚されているので、私と似たような過程があったと思う)。死者の戸籍の<ひとすみ>に自分の名前がある、という事実。「一隅」ではなく<ひとすみ>という柔らかな言葉の響きが、さらに奇妙さを醸してくる。もちろん、この歌の場合は、親を亡くした悲しみもふんわりと出してくる。

生きること、つまり死を延期すること永遠に渡れない河がある

西巻真歌集『ダスビダーニャ』

 <斜線のみに>の次の歌。死は生の延長線上にある、という事実はそりゃ当たり前だけど、<生きること>とは<死を延期すること>だと言われると「おおっ」となる(頭悪くてすみません)。この歌集には<死>という言葉が頻出する。何か言い切りろうとする勢いもちょいちょい出てくるんだけど、定式化するにしてもかなり丁寧に書いている。
 この歌が特にユニークなのは、上句で「生」と「死」の連続性を述べながら、下句で<永遠に渡れない河がある>と不連続性を述べるところだ。下句でこれを言うのは、やはり「生」と「死」には大きな断絶があると作者が考えているのだ。

唯一の外出日としてカレンダーに記す生活保護費支給日

西巻真歌集『ダスビダーニャ』

 生活保護費は、毎月初めに支給される。その日が唯一の外出日だということは、基本的に外出できないのだろう。外出できない(おそらく就労できない)から生活保護を受給しているけれども、その費用を受け取るためだけに外出をしなければならない。あるいは、せめてもの外出の目的として、生活保護費支給日を目安に頑張っているのかも知れない。こういう一首を突きつけられると、いかに自分が他人の生活を思いやれないのかをまざまざと思い知らされる。

たとへば雨が我のかたちを保つといふその感覚に佇みゐたり

西巻真歌集『ダスビダーニャ』

 <唯一の>の次の歌。確かに雨は自分の形質を避けるように降る。しかし、その雨の形を思い描いてようやく自我を保てるように思える、何かネガティヴな心境に立たされているのではないか。一方で、<その感覚に佇みゐたり>と自らの直観を大事にするところに、詩情がある。


ヘッド画像は西巻真歌集『ダスビダーニャ』表紙より。装画・西巻真実 「flower 」の一部。

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