取るに足らないささいなことを
誰かが大切に作ったモノを、自分が大事に生きた時間で稼いだお金で買って、部屋の中に連れて帰って、ていねいに拭いて、置く。
お気に入りの音楽を朝陽の中に溶け込ませて、今日はどれを飲もうかな?と悩みながら、あたたかな湯気で何かを知らせるお湯を注いで紅茶を入れる。
できたらこのカップをもう少しこころときめくものに変えたいなぁとか、もう少し小さなサイフにしたいなぁとか、白い靴は汚れやすいかもしれないけれど、汚さないように歩くとそれはそれで所作が穏やかになるな?とか。
ささいで取るに足らない、けれどこの数ヶ月でどこかに置いてきてしまったものを、拾い集めて。いえ、拾い集めることすらできないほど無くしてしまったから、ひとつひとつ吟味して、増やして、貯めてゆく。
おはよう、と言って、おやすみ、と還るまで。私は沈殿するのを待つような毎日を過ごしている、と自分で思う。
ふわりふわり浮いたことば。ひかり、想い、未来、過去。このあと地面に足をつけたものたちは、きっとこれからの人生を照らしてくれるでしょうと、毎日助けてくれるものを探しながら、私も生みたいなぁと願いながら。
変わったことは「誰かのために文章を書きたい」と思うこと。「私のため」をやっと離れて、どこかへ行ける日がくるかしらと私が楽しみに待っている。
どこへでも行けると分かるからこそ、今は私はどこへも行かない。何もしたくないと言いながら、目はずっと前を見ているでしょう。
部屋の中響く音楽に気持ちを委ねながら、なりたい私になるための準備を、刻一刻と進める30歳のさいごのあと2ヶ月。
いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。