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世界を気ままに散歩できる大人に、ずっとずっとなりたかった【#旅とわたし】

ふわっと、私の体を通り抜けてゆく風が吹く。

地球の裏側、ペルー・マチュピチュの丘の上。日本を出て、ロサンゼルスの街を歩いて、メキシコとキューバを経て、ここへ来た。リマからクスコへ。クスコから列車「ペルー・レイル」に乗って、まだまだ山の奥へ。

遠かった。すごくすごく、遠かった。日本からだと、まっすぐ向かって30時間くらいかかるだろうか。

けれどだからこそ、人生で一度は来てみたかった。テレビで雑誌で、SNSで。これまでにもう何度目にしただろう。夢の中と同じ形をしている。けれど想像よりずっと広くて、まるで本当に。ここは浮いているように見える。

どうしてこんな場所で、暮らそうと思ったんだろう。何年も前にここで営まれていたという、毎日の生活とそこで奏でられていただろう音に、想いを馳せる。

階段に座って、ごろりと横になって、まだ人の少ない遺跡と空と雲の流れる様を、ここに吹く風の心地よさを、今日は心ゆくまで堪能することにする。

ペルーを離れる日は、まだ決めていない。とても気に入ったから、また明日も来ようと思う。遺跡入場にはお金がかかるけれども(5,000円くらいする!)、知らないや、という気持ちだった。いくらだって構わない。いつまで滞在するかも、ぜんぜん問題じゃない。

だって私は、今こんなにも自由だ。帰国する日は決まっていないし、帰るべき日なんて目安もとくにない。日本を出る時は、いつだって片道切符。

旅先で写真を撮って、原稿を書いて、気が向いたり季節がよかったり特別なお祭りがあったりしたら、次の町や国へと移る。こんな風に、気ままに世界を散歩できる自由人に、ずっとずっと、なりたかった。

***

マチュピチュでうたたねをしている間、少しだけ過去を思い出す。

港区で、文京区で。いつも同じ時間に起きて、同じ列車に乗って、同じオフィスに通って、帰って。もしかしたら1年後も3年後も5年後も10年後も。似たようなライフスタイル? 

そんな毎日からどうにか抜け出したくて、けれど決断しきれなかったあの頃。窓の外をいつも眺めて、「ここではないどこかへ行きたい」と、いつだって「日常」から逃げ出したい気持ちを持っていた。

旅に出ると決めた一番大きな理由は、たぶん「年齢」だった。

傍目から見たら順風満帆に見えていたであろう、29歳の誕生日。でも30歳まで、あと1年しかない。私はひとり、焦っていた。あと365日、今までと同じだけの時間を過ごしたら、私の人生にはもう二度と「20代という時間」は戻ってこない。

「世界をこの目で、もっと見たい」。いくら映像を見ても、写真を眺めても、例えば「砂漠がどんな感じか」なんて、わからない。私の五感を浸す乾いた世界は、一体果たしてどんなだろう? できれば極力、若いうち。だって感性が、違うはず。

家族を説得して、会社に退職の相談をして、とにかく身の回りを整理して、「いつか」と貯めた200万円をにぎりしめ。私は世界一周の旅に出ることを決心する。

どうして、ずっと決められなかったんだろう? なんか、単純に、怖かったのだ。やったことがないことに挑戦すること。今まで築いてきたものを、全部捨てるべき、みたいな感覚に陥ること。

「キャリアを止めたら後で困る」なんて噂も聞くし、先輩も上司も大学の友達も、「世界一周なんて、大学生みたいだね」ってちょっと困ったように笑っていた。

私だって、「馬鹿みたいな夢だね」って笑いたい。でも、何をどう考えても、何晩眠って起きてみても、私が人生でやりたいことの「一番」は、「世界をこの目で見てくる」で変わらなかった。

小学校6年生が春を迎えたら中学校1年生に上がって、高校2年生が3年生になるみたいな感じで、就職したらいつか長い旅に出られる、なんてシステムは、どうやら世の中には存在しない。「待っていても、誰も何も変えてくれない」。

じゃあ変えるのは、私だろう? 人生はいつだって、今が一番若いのだから。

人生のバケットリストに名を連ねる旅先を、端から潰すように訪れた世界一周目。

いつか本で読んだみたいに、バックパッカーみたいにふらふらと歩き回った、東南アジア。

列車でめぐる、夏のからりと乾いた空気のヨーロッパ。

街並みと雑貨が悶絶するほど可愛い中東やアフリカに、どこまで進んでも景色の変わらない、まるで桃源郷みたいなオセアニア。

旅は、私たちの暮らしの延長線上に、確かにあった。今日都内のオフィスにいても、その指先一本でスマホを繰れば、すぐにそのまま日本を出て、北米や中米にたどり着いちゃって、そのまま地球の裏側までも到達できる。

旅に出ることに必要なのは、時間を用意してあげること。出発の日を迎えるための、チケットをその指先でそっと買ってあげること。最初の晩の宿を、到着する空港の近くに取って、パスポートを持って、少しのお金と、クレジットカードさえ携えれば。

私たちは、何処へでも行ける。本当に、何処へだって、行けるのだ。

曲がったことがない角、歩いたことのない街、聞いたことのない言葉、けれど国境を超えて、私に無条件で向けられる笑顔。

世界各地でたくさんの人に助けてもらいながら、私のカクカクしていた価値観の角は徐々に取れ、世界はひとつで、私の頭の中の地図は、日本地図から世界地図の規模で考えるように、アップデートされていく。

「人に迷惑をかけてはいけない?」日本ではそれが正義のように言われることがあるけれど、インドでは「迷惑をかけてなんぼだ」と言われていた。「約束は必ず守りなさい」と母は言ったけど、スペイン人は「神のみぞ知る」と言って、1時きっかりになんて現れない。ひったくりはダメだけど、ボッタクリは愛嬌のうち。優しさに見返りなんていらない。

「あなたに優しくした私じゃなくて、その分は、次に出逢う別の人に渡しなさい」。

世界はこうやって、想いを渡し合いながら、優しく美しく巡っている。国境なんて、年齢なんて、肌の色なんて、言葉なんて、関係ない。「知識」ではなくそう「実感」したとき、私の世界は確かにすべて変わった。

国境を越える、という感覚も、飛行機に乗る、という感覚も、なくなって。ただ、点と点をつなぐように、弧を描いて移動する。旅を始めて、早4年目に入ろうとしていた。地球は、いつまで経っても飽き足らない。

はっと目が覚めて、マチュピチュのうたた寝から目を覚ます。

眠気覚ましに、マチュピチュ村の温泉にでも、入ろうか。次にどこの国へ行くのかは、私だってまだ知らない。し、みんなだってもちろん知らない。旅人というのは、きっとそういうものだ。風が運ぶ気分と、偶然の出会いにただひたすら体と心をそぐわせる。これからも、できたらそんな風に、生きていけたら。いえ、そうやって生きていくと、決めている。


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