「幸せになりなさい」広い空を見ながら思い出したりして【カタール→モロッコ・カサブランカ】
「幸せになりなさい」と言われたことがあった。その言葉の重みを、大切さを、私はまだ本当の意味で噛み締められていない。気がしている。
「幸せになるんだよ」。なんて深く、遠い言葉だろう?
左手には、久しぶりの晴天の雲の上の海外の空が広がっていた。薄くもやをかける雲の下には、いつもなら見られない茶色く乾いた大地が、どこか不自然に区画されて、大地にナスカの絵を描いているようだった。
10人と人が集まる中で、一番若かった頃が、とうに過ぎたことに私は今改めて驚く。
そういえば随分と大人になったものだ。22歳で大学を卒業して、新卒で入社して、25歳で退職して結婚して、そして26歳で再就職した。
その頃はまだ、「部署でもっとも若手の女の子」だった。27歳でライターをはじめて、29歳でまた退職をして、世界を旅してカメラマンになって、そしてふらりと世界2周目なんかに出てしまって、32歳。
今日も、青く広い空を見ている。
より、幸せになるために、この道を選んだ。自覚がある。あの時私ははっきりと、「普通の幸せとはしばらく決別する必要がある」と、認識した上で決断した。後悔は、強がりなんかではなく、旅に出てから以降こちらの人生で、一度もまだしていない。幸いにも。
けれど時折思うのだ。ベビーカーを引く人とか、手を繋いで歩く人とか、目を見つめあって笑う人とか、「いいなぁ」って。
旅をすることと恋をすること、誰か一人を大切にして、されることの、想像や実践の準備はあるけど、「この人」がまだ分からない。「どこかへ行けてしまう自由」と「創作」の魅力が、私の優先順位の判断を鈍らせる。
「普通って何?」という彼女の質問が、時折頭の中でこだまする。
眼下には中東の大地が広がる。乾いた空気に、時折人の暮らす気配。きっと大切であろう流れる川は、現れてはしばらく消え、地平線は霞んで見えない。
もうすぐ、こないだ去ったトルコを通る。そしたら次は、アフリカ大陸に入って、モロッコだ。
さぁ、旅をしよう。いつもよりは少し短いけれど、10日間、巡って、めぐって、もう一度あのモロッコを。以前旅してから、一年半の時が経つ。あれから私は、何か変われているだろうか?
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