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「一人一人の持つ力」を信じること

私には「自分を無条件に信じてもらえたからこそ、頑張りたい!」という思いが生まれた経験が多くある。

■中高生時代のボランティア先で「結果はどうあれ、やってみてごらん」という大人に出会えたこと
■大学で見よう見まねで学んでいた ITスキル&怖いもの知らずのコミュニケーション能力で仕事をたくさん任せてもらえて、バイト先のサポートセンターで問合せ指名を受けるほどになったこと。
■社会人になって、「自分が考えたプランで一度計画してごらん」と言われ、数日かけて本や先輩の資料とにらめっこして企画。そのプランを「やれると思って相手に説明していいよ」と言ってもらえたこと(今思えば「ネット検索」しても今ほど実用的な情報がネット上になかった時代なので超大変だった)

その時は「承認された」「達成感(による自己承認)」と言った承認欲求を満たしていたのがメインだったけれど、いつからか
・誰かの夢や成長を応援すると、自分の夢も変化したり、気づきを得られること
・誰かと共に作っていく未来は、自分の想像を超えることが多いこと
・「何かができるから信頼する」といった「交換」からの関わりではなく、相手を無条件に信じる大事さ
を学んだと思っている。

今でも、従業員への給与は、仕事の報酬とか、収入を分配してるという概念よりも、「彼らの成長を期待しての投資」だと思ってる。

だって、そもそも今、国内外問わず、教育や保育の業界よりもお金を稼げる業界は山ほどある。給与が欲しければそちらに所属した方がいい。

そして、教育や人材育成の究極の目的は「本人が幸せに、そしていかなる選択も可能に出来る」をサポートすることだと思ってる。

シュタイナー教育のルドルフ・シュタイナーの著作「自由の哲学」の中に

自由な精神の持ち主は、外からの強制から自分を引き離す。
そして慣習や掟やタブー等のがらくたの中にいつまでも留まろうとはしない。
人間は自分に従う限り自由なのであり、自分を従わせる限り不自由なのである。

という言葉がある。

しかし、人材業界や教育・保育の世界にいる人だとしても、みんなが「一人一人の持つ力を信じる」と思っている訳ではないのなだなぁと学童保育施設を経営していて、そして教育現場をたくさん見せていただく機会をいただく中で実感している。

そしてそれはとても「不自由そう」だし、ずっと愚痴を言っているよう。

そもそも一人一人が「自分を、自分の力を信じてない」
当然、他者も他者の力も信じられない。
いつも「条件が揃わないと自分も他者も信じない」から。

だから、
■何か(お金・やりがい・情報・地位など)がもらえない、できないのであれば、相手を信じられない、自分の力も信じられない、自己を承認できない。
■何か(お金・やりがい・情報・地位など)がもらえるのであれば、相手を信じられるし、もらえる自分を信じられる。自己を承認できる。
となる。

ここから派生して様々な解釈を産むことができる。
・やったことがないことは、自分の力ではできない
・実績がないものは、できるはずがない。
・情報がないから、わからない(実際は取りに行かないだけ)
・地位がない人は信用できない
・高いものは良いもののはず
・学校の成績がよくない子は、出来が悪い子だ。
いくらでも出せそうだ。

しかし、自分を信じることは他者から強制されるものではない。
自分で決めることだから。

ダライ・ラマ法王が2019年2月11日に ダラムサラ の公邸で行われた講演にて

ドラッグやアルコールやお金から幸せは得られません。究極の幸せや喜びは、思考によってのみ得られるのです。そして、宗教への信仰心から得られるものでもないのです。
信仰するのではなく、考えなければなりません。我々人間の頭脳を使い、科学的に考えなければなりません。神様や仏様に祈る必要はないのです。

と話されている。

**自分を肯定し、ありのままで表現できるようになっていくことと、他者を肯定し他者を受容することは表裏一体であり、それは誰かが作るものではない。自分が、そして思考していけるものだと理解すること。

それができない限り社会は一人一人にとって息苦しくなるし、一人一人の力を信じて多様性を生かす社会とは程遠くなっていく。**

【2019.6.27追記】
この記事『Yahoo!』から見る「日本の異常さ」
もこの話にリンクすると感じたので追記します。

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