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外見コンプレックス〜そこに他者は存在するのか?

私は本当に自分のことしか考えてこなかった。

「私は醜く愚かだ」という思いに完全に同化し、全力で醜く愚かなイメージの私を生き、自己を卑下し、他者から自分を切り離してきた。「自分はダメだ」「自分が悪い」「自分なんて」という強い自己否定の世界に没入し、自分の苦しみだけにフォーカスを当てている状態だった。自分への客観性など全く無かった。

そんな中、強烈に他者という存在に気付かされたのが、イメージコンサルだった。

イメージコンサルとは一般的に、クライアントの目的に合わせて、職業やライフスタイルにふさわしいファッションスタイル、ヘアースタイル、メイクアップ、カラーコーディネートなど、トータル的に最適なパーソナルブランディングご提供するものと言われている。

私がなぜイメージコンサルを受けようと思ったのか。「私は世界一醜い」という思いに捕われ、それが故に人と交流をすることができず、普通の人生を諦めざるを得なくなったと思い込んでいた。それでも当時の私はコンフォートゾーンから一歩踏み出し、人との交流にチャレンジしていたが、自分は醜いというコンプレックスが障害となり、美しくさえなれば、人々と心地よくつながることができるだろうと一縷の望みを抱いてのことだった。

それはたまたま目にしたイメージコンサルを受けた方のブログだった。テレビで見るようなビフォーアフターとは明らかに違う何か。ビフォーアフターはいわば一瞬のまやかし、単なる虚飾。飾り立てても中身は無く、本来のその人の姿はどこにもない。

一方、その人の手にかかった人たちは、蕾がほころび花開くように美しくなっている。霧が晴れて、山の景色が一望できたときのあのハッとした感じ。こんな景色があったのか!という。その人そのものが顕現する。

そしてコンサルをしているご本人に興味を持ち、動画を見た。今まで見た事がないような優美な動きをしている。しかもそれが一ミリもわざとらしく無い。本物に会ってみたい。そしてこの人の手にかかって自分がどんな姿になるのか見てみたい。ほぼ迷うことなく、即座に申し込み、大阪のサロンに駆けつけ言われた言葉が

「あなたのように内面があるのに、外見で表現出来てない方を見ると、わたくしイライラするのよね」

だった。

醜いために苦しい思いをしている私が美しくさえなれば、人と気持ちよく交わることができ幸せになれる。私が、私が、私が・・・私しか居ない世界にどっぷりと没入し、その中で自家中毒に陥っていたところに強烈なひと言。閉ざされていた世界が破壊された。

世界一醜い私と対峙している他者は、私の姿を目にして不快だろう、一緒には居たくないだろう、目を反らしたいだろうとイメージし、いたたまれなさを感じていた。それはあくまでも私の頭の中の醜いイメージの私が、私がイメージする他者に不快を与えているだけで、全て頭の中で起きているだけだった。向き合うべき実際に目の前に存在する他者を全く観ていなかったし、全く関心を抱いていなかった。目の前のひとを無視しつづけているのも同然だった。

「あなたのように内面があるのに、外見で表現出来てない方を見ると、わたくしイライラするのよね」

というひと言により、現実に今存在しているありのままの私と、目の前のイメージコンサルタントの先生が対峙した。頭の中のイメージの私との同化が外れ、リアルな他者からみた客観的な私を実感した瞬間だった。

私に起きた変化

私はありのままの私を否定し、決してどこにも存在しない理想の私を追い続けていた。本当の私は頭の中には存在しない。今、ここにしかなく、今ここからはじめるしかないことに気付かされた。私はやっと自分の外見に責任を持ち、自分の人生を生きるスタート地点に立てたのだった。

イライラするという言葉はショックではあったが、私の目を覚ますための慈悲の言葉であることは十二分に伝わってきたし、それによって自分の外見に向き合う確固たる決意のようなものが生まれた瞬間でもあった。真実を知ることは時に人にショックを与えるが、同時に間違い無く力を与える。その証拠に、現在、私はイメージコンサルタントとなり、女性を美しくするサポートをしている。

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