秋深し、っていうお話。
気がつけば秋が少しづつ、少しづつ深まっている。
夏の『暑熱』とそれに相対する人工的な『冷涼』によって際立っていた刺激的な
グラデーションは段々と彩度を下げ、また違った寒さと温かみの同居する色相へと
移り変わっていく。
街の色も、木の色も、人の色も。
秋は深まり、そして深まったはずの秋はどこへいくこともなく
冬に近づいてそのまま冬に取り込まれる様に姿を入れ替えていく。
夕暮れ時の街を往く人は、秋の深まりとともに不思議と足早になっていく。
暮れて、すとん、と地平に吸い込まれる秋の太陽と同じように、
みんな家路を急ぎそれぞれの住処の暖や灯りに吸い込まれていく。
確かなデータがある訳ではないけれど、この秋の深まりと人の帰り道の足の早さは
必ず相関があると思っている。あったかいシチューが待っている、というキャッチコピーのCMのことなどぼんやり考える。
そりゃ足も早くなるだろうなぁ、なんて。
でも、シチューが待つにはまだ早い、それがきっとこの時期の面白さ。
秋になると、天高く、と言われるように空気が乾いて澄んでくる。
それによって何が起こるかっていうと、音や匂いが、本当に遠くから風にのって
やってくる。
例えば秋刀魚を焼く様な夕餉の支度の匂い、団欒の賑やかさ、遠くにある踏切の音、石焼き芋の匂いとそれを売る声…。
不思議とそのどれもが温もりと寂しさの同居する音と匂いなのだ。
何かを思い出させ、どこか遠くのことを思い、そして今まで出合った誰かのことを考える。
そういう音と匂い。
ボクはこれが秋の恩恵、良いところだと思っている。
冬の空気は鼻腔から思いっきりよく吸うと痛いのだ。
そしてあまり匂いがない。気持ちいいけどね。
秋の空気は、必ず何かの匂いが伴っている。
どこか懐かしく、少し苦しく、でもほんのり優しい、そういう匂い。
銀杏はくっさいけれど。
ところで、最近、深呼吸ってしましたか?
窓辺でもいいし、公園でもいい。
帰り道だっていい。
少しそこにとどまって、目を閉じて、鼻だけですーっと大きく、
背中に息を入れる様に大きく息を吸ってみて。
思い出す色んなことや場所や人たち。
今もずっとその全てと一緒に、もしかしたら自分はそこに立っているのかもしれない。ふと、そんなことも考えてみる。
それはある種のセンチメンタルでしかないのだけど、これからやってくる寒い冬に向けて与えられた小さな火鉢の様な『暖』や『灯り』なんだと思うときがある。
深呼吸をしてその火種に優しく、乾いた空気を送りこむ。
もしかしたら人間の動力もそういうものだったりして。
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