保育・教育の専門家としての資質・能力

 保育・教育の専門家の資質・能力は、日本の中では深まり、向上しているのだろうか、と長年思っている。私の結論は、あまり深まっていないし、向上していないと考えている。

 世の中、医学、科学、化学、芸術、音楽、スポーツ、エンターテイメント、等々それぞれの分野はすごい発展している。しかし、保育・教育の世界では、いまだに、保育・教育がうまくいかなければ、「保護者のせい」にする先生がなんと多いこと。自分の目の前で生じたことは、自分の責任であるのに。

 今日から、気が向けば、私が身につけてきた、保育・教育に関して書いていくつもりである。人生の先も短いので、万が一、ひとりでもこの文章を読まれて、参考になればと考えている。

 保育・教育の専門家としての資質・能力の基本は、その先生と一緒にいたい、一緒に勉強したい、一緒にあそびたい、と子どもたちが素直に感じることができる雰囲気をかもし出すことが、まず基本中の基本である。

 発達障害の子どもたちも、そのような雰囲気を持つ大人の、前では非常に雄弁で落ち着きを持っている。

 その大人がいるだけで緊張する、というのはあり得ない。専門家としては失格である。

 子どもたちがまとわりつきたくなる雰囲気をかもし出す専門家には、今まで私はあまり出会っていない。もちろん、そのような専門家は多数いる。でも、全体からすればわずかである。

 これは、保育・教育の先生を育てる養成校の教育の問題でもある。上記のような資質・能力を身につけさせる授業など私は聞いたことがない。もちろん、私は現役の時はそのような資質・能力が身につくような授業をしていたが。でも、他の先生は奇異に感じていた。

 何が必要なのか?

 まずは、「アイコンタクト」で子どもと友達になる能力を身につけることである。それには、スーパーなどの子どものいる公的な場所でトレーニングを積むことである。前から来る子どもを見つめ、すれ違うときには笑顔でお互いが手を振るような関係を身につけるのである。

 私自身、このようなトレーニングを若いときから積み重ねた。お陰様で、今ではどのような子どもともすぐにお友達になれるようになった。しかし、現在は、下手に友達になると子どもとあそぶほどの体力がないので封印をしているが。

 次に大切なことは、自分のテリトリーに、スッと子どもが入れるように、「気」を外に出さないことである。この「気」と言うことの理解が難しい。これもトレーニングが必要。スーパーなどのトレーニングでも身につく。他のトレーニングとしては、山に入り(それほど深く、高い山でなくても良い。蝶々やトンボが適当にいる山で良い)、木の枝を持ち、その木の枝にトンボや蝶々が止まるようになるまで続けることである。

 教え方などの「保育・教育技術」は、上記のような雰囲気が出せるようになれば、学んだことの数倍も楽に発揮できる。

 それから、しっかりと子どもの話を聞くことである。子どもは大人が知らないことを沢山知っている。子どもから教えてもらうつもりで話を聞けば良いのである。

 大切なことは、子どもの話を聞きながら相づちの返事をするとき、子どもの発達段階を見極めて返事をすることである。これには、しっかりとした発達の理論的知識が必要である。「子どもの発達の『最近説領域』」に働きかけなければならない。当面は発達の本と首っ引きで子どもとかかわることが必要である。

 最初はうまくいかないことばかりである。しかし、うまくいかないことを人のせいにするのではなく、自分の未熟さと受け止め、努力することである。重要なことは、「何が未熟だったのか?」を深く考え、勉強することである。そうすれば、10年後、見違える先生になっている。

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