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庭とランドスケープの違いとは?「ランドスケープの先の庭」を考える #0107

フェイバリットな庭系podcast があるのですが、ここで「庭とランドスケープの違いって?」というテーマで以前ゲストトークがありました。

このテーマは空間を考える上でとても面白く、かつ根源的だよなーと思った次第です。
「ランドスケープ」って最近よく聞くようにはなったけど、そもそも英語ですからね。日本語になっていない時点で、日本にはない概念と言えるわけです。

この2つの違いってなんなんだろう?ということを自分なりに考えてみたいと思います。


まず「庭」とは何なんでしょうか

「庭」はなんなのか、ChatGPT さんに聞いてみました。

「庭」(にわ)とは、建物の周囲や敷地内に設けられた屋外の空間で、一般的には草木、花、石、池などの自然要素や装飾が配置されています。

Chat GPTさんより抜粋

Wikipedia さんはこう答えました

(にわ)は、住宅などの施設の敷地内に設けられた、建造物のない広場である。

Wikipedia さんより抜粋

なるほど。
庭とはそもそもただのだだっ広い「場所」でしかない、ということが彼らの回答からわかりますな。
一般的には、草木や景石などを置いて、その場所を整えたものを「庭」として認識しているケースがほとんどだと思います。
つまり、空いた場そのもの、あるいはその場を発展させたものが庭だということなんだろうということです。

空間があれば、みんな庭

ランドスケープとは何じゃろか?

一方、ランドスケープが何かというと、こういうことらしいです。

「ランドスケープ」(landscape)という言葉は、一般的には「風景」や「景観」を意味します。しかし、特定の専門分野や文脈では、より具体的な意味を持ちます。以下に、いくつかの視点から「ランドスケープ」の意味を説明します。

一般的な意味自然景観: 自然の山、川、森林、草原などが織りなす風景を指します。
人工景観: 都市や農村など、人間の活動によって作り出された風景も含まれます。

専門的な意味ランドスケープデザイン(景観設計):
自然環境と人間の生活空間を調和させるためのデザインや計画を行う分野です。これには、公園、庭園、都市空間、広場などの設計が含まれます。
ランドスケープアーキテクチャーとも呼ばれ、建築や都市計画と密接に関係しています。

(中略)

具体的な例都市計画: ランドスケープデザイナーは都市の公園や広場、歩行者専用道路、緑地帯などを設計し、住民の生活の質を向上させるために働きます。
庭園設計: 個人宅の庭や公共の庭園を設計し、美しい景観とリラックスできる空間を提供します。
環境保護: 自然災害のリスクを減らすための土壌保持や水質保全の計画、生態系の修復などを行います。

(中略)

ランドスケープは、自然と人間の生活空間の関係を調整し、調和の取れた環境を作り出すことを目的とした広範な分野を含んでいます。美学、機能性、環境保護など多くの要素が統合された総合的なアプローチが必要とされます。

Chat GPT氏より抜粋

以前、わたくしはランドスケープを庭の拡張概念だと思っていたのですが、そういうことではなく、文化や歴史、社会的関係性まで含めた領域を場として作っていくものだ、と今では解釈しています。

ランドスケープと一口で言っても、ものすごく広く多面的なものです。エコロジー面での見方もあるし、設計側の概念もある。切り口によって多面的に解釈して作っていくものがランドスケープだと理解している感じですね。

エコビレッジなんかは、
コミュニティから発展的に風景が作られる場ですかな


庭とランドスケープ、重なる点、違う点は何か

つまり、庭はランドスケープに内包されている、と考えることができます。
ラジオの中でも話されていますが、「庭の先にランドスケープはない」ということです。

北欧の街並みはランドスケープの延長としての庭

ランドスケープを学んだ方の話で、なるほどなーと思ったことの一つは「関係する接地面」の話でした。
どういうことかというと、庭が施主との「1対1」の関係であるのに対し、ランドスケープは「1対多」の関係であるということです。それも圧倒的な多です。
前項で書いたように、ランドスケープは切り口が多様であることに比例して、関わる人が非常に多くなります。

この「関わる人の多さ」ということがキモだと思っています。
風景というものは自然と「できていく」ものだと思うのですが、風景が社会的な関係性を含んでいるのだとしたら、人工的な風景を作ることは、より「自然」だと思うのです。

関わる人の多いランドスケープ

例えば、車椅子で生活する人が生活しやすい人のためのプランニングであれば、バリアフリー的な観点が必要である一方、環境的に排水の点を考えれば、そこには勾配は作らないほうが良いかもしれない。では、どこに坂を設置するのか、あるいは坂ですらない何かを組み込むのか。

アメリカのランドスケープについて「巻き込むのがうまい」と話題になっていましたが、少しでも関わった人をどんどんプロジェクトに取り込んでしまい、共犯関係にすることで、街に関わるきっかけを増やしているのだと考えます。

究極的には「全員」が街の風景になんらかコミットすることが大事だと思っていて、それをまとめるコンダクターとして、ランドスケーパーが関わるのだとしたら、これは単なる造園の領域を超えた、プロジェクトリーダーのような存在になるわけです。
で、リーダーが全体をデザインしていって、街並み(風景)を作るってわけです。デザインってのは、単にオシャレ、という話ではないってことなんですな。

廃工場、再利用のしがいがありそう

もう一つは、ランドスケープとしていかに「壊すか」ということも語られていましたが、これは空き家、空き店舗問題が深刻化している地方においてはより切実な問いだと思います。

例えば、廃業した既存の商業施設があったとしましょう。ランドスケープ的には、建物をいかに壊して、エコロジーの観点からどのように環境を作っていくか、ということを考えます。
住民や専門家などのプレイヤーにコミットしてもらいつつ、数十年後を考えたプランを立てて実行していく。エコロジーの観点と経済的持続性を確保した環境をどのように整備していくか、まさにプロジェクトマネージャー的な役割です。

50年後の風景を見据えたプラニングには、地道な活動、人を巻き込む戦術など、多様な観点から活動するランドスケーパーが必要になるわけです。

自分として関わりたい領域ってどんなだろう?

自分としては、ランドスケーピングに関わっていきたいと思う反面、造園的なアプローチ(植物を植えて「ステージを作る」仕事)はもっと可能性があるんじゃないの??と考えております。

温室×レストラン×庭から発展的に周辺環境ができていた
スウェーデンのレストラン(?)

外構的なアプローチから「集まれる庭」を作っていけるのではないか、というのはそのひとつです。その場から発展的にランドスケープを考えていけるといいな、と思っています。
前項で、「庭の先にランドスケープはない」と書いていますが、本当にそうなのか??は改めて考えながら作っていきたいと思っています。

テーマとしては「集落の再定義」「廃校の再定義」を考えている感じですね。
今家を作っているのが小さい田んぼの真ん中の集落なので、その家の外構を面白くして自律分散かつ参加型の空間にしていきたいと思います。まさに「庭」という空いたスペースを活用して、ランドスケープが出来上がっていく。そんな未来を作っていけたらなーと思っている次第です。

ではでは!

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