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ラジオと他の音声コンテンツの違いってなんぞや No.0059

しばらく実家に帰っていたため、更新がだいぶ空いてしまいました、、。


今週は年度末でいろいろなものが終わったりするわけですが、その一つに好きなラジオ番組が終わることがあるのです。テレビをほぼ見ないウチにとって、ラジオは結構大事なメディアで、そのひとつの習慣が無くなるとなかなか厳しいなーという気がするわけです。

ラジオのことを考えていて思ったのですが、他にも音声メディアはいろいろあって、わたくしは結構重宝しているのですが、それでもやっぱりラジオの換えはなかなか利かないなーと思っているのです。なんでなんだろう?ということをなんとなく考えていたわけです。

他の音声コンテンツは「ずっと」聞けない

たまたまここしばらく実家に帰っていたこともあり、ラジオ含め、Podcast やら Voicy やらも聞いていなかったのですが、最近色々聞きすぎて食傷気味になっているな、、とハタと思ったのです。個人的にちょっと思うのは、ラジオ以外の音声メディアってけっこう疲れるんだな、、ということなんですな。
やっぱりテーマを絞っていたり、ごく限られた人数内で行っていることもあって、テーマが重かったり、繰り返しばっかりだったり。はたまた人数が少ない故に声のトーンが限られてしまう、ということがあげられるのかなーと思うわけです。

やっぱりそれなりの「主張」があるパターンも多いので、主張のある人の話を傾聴するのってけっこう疲れるんだよね、、。人間、集中して人の話を聞けるのは数分~10分くらいだっていうし、「意味のあること」を聞き続けるのって大変。
しかし毎日聞いていると、自分が疲れていることにも気づかない、というのもあって、わたくしはこの辺りの音声メディアとはほどほどに距離を置こうと思った次第なんです。

ラジオは「聞き流せる」

で、一方ラジオはどうなんだ?というと、やっぱりほどよく雑多なんですな。聞いてもいいし聞かなくてもいいこともけっこうあるし。ずっと集中してなくてよい、という程よさがある。で、その中にいい話や面白い話やくだらない話が入っていたりで、なんというかちょうどいい「井戸端会議」感があるんだよね、ということです。出演者やコーナーも程よく散らばっているので、声のトーンや抑揚も様々な雑多な感じが、人間にちょうど良い雑踏の感じなんじゃないかと思うわけです。
まーあとは、ラジオに出ている人って、けっこうクラスの隅にいたタイプとか、オタク気質の人も多いから、その辺がちょうどよい感じもあるわけです。(「クラスの中心」タイプの番組を聞かないだけかもしれないけど、、)

そして、「作り込まれている」

もうひとつ、個人的にラジオがいいなーと思うのは、「ラジオはやっぱりちゃんと作っている」ということなんだと思うわけです。

作家さんやプロデューサーがいて番組の構成が作られていて、オンエアー時にはミキサーや進行、メールの仕分けやらノベルティの準備をする裏方、その上に出演者やらがいるわけで、たくさんの人がかかわって作られている「作り込まれている」感じがあるわけです。(現場みたことないから想像ですよ!)

番組内のコーナーとかもやっぱりよくできてるし、リスナーという参加者がたくさんいるので、予期ししなかった出来事とかもたくさん発生するし、こういうよくできているからこそのこぼれ話が面白いんじゃないかなーと思うわけです。


今回これを書いていて改めて気づいたのは、自分は作り込んだものが好きである、ということもあるんですな。よくよく考えると、自分がつくるものも結構作り込む系のものが多いな、と思うのです。(このブログはわりと逆で書いているが)

最近って、「出来上がる前に出せ」系だよね

近年のビジネス界隈の傾向として、とにかくすぐ出す、できていなくていいからまず出す、そこからブラッシュアップしていく、という方法が推奨されているわけですが、一方でその通りだと思いながら、もう一方で、本当にそうか?とも思うのです。というのも、この「聞く」系のコンテンツだけを取っても、とにかく手軽に発信することが当たり前すぎて、聞く側が毎日聞くに堪えるだけのコンテンツであるか、と問われるとそんなこともないな、と思うわけです。
もちろんその良さも知っているつもりだし、自分も聞いているのだけど、なんというかラジオとはやっぱり別物だよね、という気は大いにするわけです。

で、こういう「作り込んだもの」って現代のスピード感にはマッチしてない感じだけど、やっぱり作り手の思いとか力のかけようが如実に出ると思っていて、やっぱり自分はそういう方にシンパシーを覚えるなーと思うわけです。

しっかり作ってあるのに、聞いている側があんまりそこまで考えない。時計代わりとしてしかつけていなかったり、聞いていなくてもそこにあるだけでOK!というような存在は、なかなか懐が深いものなんじゃないかなーと思うわけです。


そんなわけで、当たり前に聞いていた番組が無くなるにあたって、そういう存在って無くなる時にありがたみに気付くもんだ、ということでいろいろと書いてみたわけです。

それではでは。

チャオ!

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