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お父さん

先日、私の父が亡くなった。
いつかはこの日が来るんだとわかっていてもやっぱりさみしい。

私は父の事が大大大嫌いだった。
「自由奔放」な私を昔から父が理想とする線路の上を走らせようと理不尽な程に厳しかったから。

父は九州の小倉出身で、先祖はその地域では有名な力士だったらしい。父の両親は商人をしていてお手伝いさんを雇ってたような家庭で父はいわゆるボンボン。
地元の大学を卒業後に名古屋の会社に就職、バブル時代のサラリーマン💴
いつも財布にタクシー券とお札がギッシリ入ってたのを覚えてる。お中元とお歳暮はパーティーするんか⁈ってぐらい毎日全国からいろんなものが届いてた。
仕事仕事で全国駆け回っていてあまり家に居なかった気がする。なるべく父と会わないように避けるように生活してただけなのかもだけど。

そんな父も私が小学生の頃までは毎年海に山にキャンプに旅行にいろんなところへ連れて行ってくれて、いろんな経験をさせてくれた。
いろんな生き物を飼う事も許してくれていつも最終的に可愛がっているのは父だった気がする。
犬、猫、亀、金魚、メダカ、ニワトリ…私の兄もトカゲやらバッタやらアリやら捕まえては飼ってたから、すごいいろんな生き物と同居してる時期があった。

私が高校生になった頃からか、勉強して大学行って良い企業に就職して職場結婚するのが幸せだ‼︎みたいな事を毎日毎日会うたびに言われ、オレの稼ぎで充分生活できるんだからバイトもするな‼︎
学生は勉強しろ‼︎
ダンスなんか何の為にやってるだ‼︎やめろ。
って私のやりたい事も全否定。
私も意外と根は真面目なので(笑)親に無断でできなくて父としっかり交渉。
父が納得する学校の成績を取る事でバイトもダンスも許可が降りたのだった。
凄いスケジュールの高校生活してたなぁと思う。月7万円位バイトで稼いでたし、ダンスも毎日練習してたし、週末は朝までクラブで踊ってたし(内緒)、県外へコンテストやイベントに出場出演もしょっちゅうしてたし、学校の成績も3年間学年Top10内をキープしてた。
父との約束が無かったら私、多分めちゃくちゃだったんだろなぁと思う。
充分めちゃくちゃではあったけど(笑)
厳しくしてくれた父に今は感謝してる。

ずっとずっと
ダンスなんか不良がやる事だやめろ!
と言い続けていた父だったけど、私が19歳の時にダンスのコンテストで優勝してその目録を持って帰ってきた時に、初めて「スゴいね‼︎おめでとう!!」って喜んでくれて、その目録を買い取ると言い出し1万円くれたのを今でも鮮明に覚えてる。
一度観に行かなくちゃな!って言ってけど結局一度も父に披露する事は無かった…

父が危篤だと知らされ名古屋の病院へお見舞いに行った時、
「土曜日は大事な大会があるし、日曜日はイベントがあるからまだ死んだらダメだからね‼︎」
って私が言うとうんうんと頷き「それはわからん…」ってむにゃむにゃ何か言いながら寝てしまっていたけど、「結局一度も観たこと無いなぁ」って言ってた感じだった。

イベント出演をしていた日曜日の午後、実は父は意識が無いと看護師さんがバタバタしていたらしい。その日の夜に病院へ行ったら母が教えてくれた。夕方には意識がもどり私が着く頃には安定していた。
もしかしたら…違うかもしれないけど…
その日のイベント、ありえない音源トラブルがあって不思議でならなかったんだけど、父が観に来ていたのかもしれない。
いつも使ってる音源で音が途切れた事もないし、リハーサルも音はいつも通りだったのに本番私が踊った曲だけプツプツ切れてマジでおかしかった。
父が観に来てたと思ったらなんだかあの音源トラブルも納得。みんなマジでごめんね。

2日後に父は旅立っていった。

当たり前のように、父がいて母がいるお正月も夏休みももう来ない…
いつかはやってくるんだけど、さみしい。

大好きだった海も山も思う存分楽しんで天国へ行ってちょうだい。

育ててくれてありがとう。

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