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「そういうもんだ」

人の行動を左右しているのは、意外と、「そういうもんだ」という"共通認識"なのだと思う。

私が通っていた公立の小学校には、授業の節目の「チャイム」がなかった。子供たちに自主性を持たせるためだ。休憩時間が終わる頃には各自で時計を見て、席に着く。次が音楽の授業なら、先生に指示されなくても音楽室の前まで移動し、部屋の扉が開くまでみんなで整列して静かに待った。私の小学校では、お利口にするのが当たり前だった。私たち生徒は「そういうもんだ」と思っていたのだ。

中学校の入学式の日、私は衝撃を受けた。近隣の別の小学校から進学してきた子供たちが、先生の指示通りに整列せず、ずっとおしゃべりをしている。先生は怒った。その子達に、というよりは、クラスの全員に向かって怒った。私と同じ小学校に通っていたメンバーは、「お利口にしないクラスメイト」と「(お利口にしている子もいるのに)生徒全員に向かって怒る先生」に面食らった。

小学生の頃は先生に「お利口な生徒」として扱われていたので、自分がお利口だと思っていたが、中学生になって、「いうことをききなさい」と言われると、なんだか自分が「悪い子」じゃないといけないような気分になってくる。最初はお利口だった同じ小学校出身の友達も、だんだん先生のいうことをきかなくなった。反抗したくて反抗期を迎えるというよりは、「みんな反抗するもんだ」という共通認識のような、流れのようなものに則って、みんな反抗しているようだった。

小学生のときには「そういうもんだ」と思っていた「お利口にすること」が、中学に上がった途端、別の「そういうもんだ」(=「悪い子になること」)に置き換わってしまった。

「仲良くする」とか「協力する」とかが、みんなにとっての「そういうもんだ」であればいいのだけれど。それって結構、いとも簡単に覆されるんだよな。

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