見出し画像

ゆっくり考えるということ

先日滞在先のフランスで、外出禁止令を体験しました。最初は学校が休みになって、その次にレストランやカフェが休みになって、それだけれも相当街は死んだようになっていたのに、あれよあれよという間に外出が禁止になり、今はいったいいつの時代なの?という感じになりました。戦争を体験したことはないけれど、戦争みたいだと思いました。マクロン大統領はテレビで「これは戦争だ!」といっていました。私は最初その単語がわからず、急いでしらべてみてわかったときには、血の気がひくような思いでした。

私はもうすぐ帰るのに、飛行機は無事飛ぶのだろうか。外に出るには申請の紙を持ち歩かなくてはなりません。空港までF氏に送ってもらう予定でしたが、そのような項目がないので警察に問い合わせたら「電車が動いているので、電車で空港に行くように」ということでした。飛行機は夜の一番遅い便で、最寄りの駅からは治安のあまりよくない北に向かう路線なので、ひとりで電車に乗ってるアジア人の女(私)を想像するだけでヒヤヒヤしてきました。結局は、なんとかタクシーを予約することができて無事に空港に着くことができました。タクシーの運転手さんは女性だったのも安心しましたが、私がアジア人だからか、そこはかとない差別の空気が車内にあったような気がしました。でもそれは私の方の気持ちのせいかもしれません。

いつも観光客でごったがえしているCDG空港は閑散としていました。カフェはもちろんのように開いてなくて、ドラッグストアと簡単な売店のみが開いていました。荷物を預けるのもパスポートを見せるのも、並んでいる人はゼロ。手荷物検査は動いていなくて、私の荷物のために動き出しました。免税店も全部閉まっています。私は搭乗ゲートのそばに唯一開いていた売店で、なんとなくポテトチップと炭酸水を買いました。ここ数日お店で何かを買うという行為をしていなかったので、したくなったような感じでした。

この数日間、ひまだったので気が付くとネガティブなことを考えてしまいそうに何度もなりました。そのたびに「そうじゃない、そうじゃない、今、今」という風に今に集中しようといつもより強く思ったような気がします。いつもはあまりうまくいかなくて、逆にみょうにハイテンションになってしまったりもしがちなのだけど、落ち着くことも意識していました。楽観的になりすぎず、悲観的にもなりすぎず、みたいなことを意識していたような気がします。その中で思ったのは、ゆっくり考えればちゃんと解決できるんじゃないかということ。いつもは時間に追われてゆっくり考えるということが、なかなか出来ていなかったような気がしました。現実とは思えない状況だったからかもしれないけど、いつもとは違う落ち着き方ができた。これはいがいな感覚でした。これはなにかのヒントになるかもしれない。なんのヒントだかわからないけれど、今はそんな不思議な気持ちでいます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?