閏年に思う

今年は閏(うるう)年だ。
一年が通常より一日長い。
年明けからの大地震、飛行機事故など胸が痛む知らせが続いているが、それでも「一日長い」—— ただそれだけのことが、なんとくめでたいことのように思う。五十五歳で亡くなってしまったダンナのことを考えても長く生きること、それ自体が充分に尊いことのように感じる。


近ごろ自分は無駄な延命治療は望まない、さらには日本にも安楽死制度を導入すべきだ、という声もちらほら聞くが、それはあくまで「自分は」の話であって、家族が事態に直面したときに果たしてそう思えるのか、それはまた別の話だと思う。


がん患者の家族は、余命がもう長くはないだろうと判断されたときに、ドクターから急変したらどうするか考えておくように伝えられる。抗がん剤治療がもはやできない状態(抗がん剤治療ができるかどうか、それには指標があるらしく自力で通院することが難しいダンナは抗がん剤治療対象外であり在宅での緩和ケアという局面に入ろうとしていた)であったダンナもそうだった。そして急変したときに救急車を呼ぶことの意味を伝えられた。救急車を呼ぶこと、それはすなわち延命治療をスタートするということであり、これには患者本人は苦痛を伴うことが往々にしてあると。ドクターから本人の意思を確認しておくように言われたが、私はどうやって伝えるべきか逡巡した。もはや余命は少ないと宣告するようなものだからだ。私自身は延命治療もありだと思った。人工呼吸でも何でもして一分一秒でも生きてくれとも思った。しかしダンナに聞くと「わけわからん状態で管に繋がれるのは嫌だし、辛いのは嫌だ」と言う。
末期とはいえ、がん患者であるダンナはこのように意思確認ができたわけだが、これが生きるか死ぬかという瀬戸際にいる場合だったらどうだろう。本人に意思確認ができない場合、家族はどうするのか。延命は望まないとすぐに判断できるのか。


重い話になってしまったが「四月一日生まれ」という人がいる。いわゆる早生まれというやつだ。
子どもの医療証というものがある。乳幼児・小中学生・高校生(在学中か否かは問わず)と三種類あるが、種類が切り替わるタイミングについて四月一日生まれの人はどうなるのか。例えば小中学生の医療証の適用条件は「6歳に達する日の翌日以後の最初の4月1日から15歳に達する日以後の最初の3月31日までの間にある者」とあるからだ。
調べてみると、これは周到なお役所用語であることがわかった。「達する日」とは決して誕生日ではないのだ。四月一日生まれの人は、実は前日の「三月三十一日の夜中の十二時」にその年齢に「達して」しまう。どうやら法律では人は「誕生日の前日の真夜中十二時」に歳をとるのであり「誕生日当日の早朝零時」ではないようなのだ(実質的には同じ時刻なわけだが)。よって四月一日生まれの人は、六歳誕生日の朝におはよーと起きてきたときにはすでに乳幼児から小中学生の医療証に切り替わっているわけだ(早生まれにデメリットを感じているなら一年先送りも可能らしいが)。
同じように「高齢受給者証」というものがある。七十歳になった「翌月」から適用になるものだが、一日生まれの人は七十歳誕生日の朝、御早うと起きてきたときから、何なら前日の真夜中十二時から使える。これも上記の理屈だろう。なるほどねー。


やっと本題に戻ってきた。
今年は閏(うるう)年である。
季節と暦のズレを解消するために四年に一度、二月二十九日を設けているわけだが、二月二十九日生まれの人は四年に一度しか歳をとらないのか —— 否、上記の理屈を思い出してほしい。二十八日の真夜中十二時にはちゃんと歳をとっているわけだ。
先ほど「法律では」と言ったが「年齢計算ニ関スル法律」は、きちんと二月二十九日生まれの人を考えた法律であることがわかった。「お役所」とも言ったが、前言撤回だ。少数にも多数にも優しい法律である。なるほどねー(2回目)。


閏(うるう)秒、というものもあるらしい。
数年に一度、日本時間で九時ちょうどの一秒前に、八時五十九分六十秒が入れられることがあり、これを閏秒というそうだ。不規則にやってきて、最近だと2017年、2015年、2012年に実施されたそうだ。なんだか考えれば考えるほど不思議な気持ちがしてくるし、閏秒ってなんだか美しい。しかしどうやらこの閏秒、廃止となるらしいのだ。理由は「時間調整の失敗によるシステム障害への懸念が国際的に高まり、廃止を求める声が出ていた」からだそうだ。
一所懸命考えてやってはみたけれど、うまくいかなかった、みたいな感じか。なにか切ない…