おばけに寄せる心(エッセー)

私はおばけを見たことがありません。おばけの屁のようなものは感じたことがあるのです。近所の墓に墓参りに行くと、呼んでもないのに付いてきた猫の毛が逆 立って、ものすごく興奮するのを見ました。猫は敏感なのかもしれません。盆や彼岸の思い出といえば、墓の花入れに何ヶ月も放置された菊の花が腐りきった何 ともいえない荘厳な香りと正気を失う猫のことです。当時私はおばけが怖かった。姿を見せず、姑息に人を怖がらせる誰かだと思っていたからでしょうね。

今はもういないある友達とある夏一緒に仕事をした事がありました。どの夏かと言うと、マイケルジャクソンが死んだ夏でした。モンゴルの緑の季節はとても短 いので、一斉に緑になった街路樹を眩しく見ながら職場に着いたのでした。彼は既に自分の席についていて、パソコンをいじっていたのですが、私が階段を上り 終わってオフィスに入ってくるのと同時に、こっちに顔を向け

「マイケルジャクソンが死んだんですよ」

と、興奮気味に言いました。顔は殆ど笑っていました。私は驚きました。彼がマイケルジャクソンの死に興奮していることが、私に取ってのマイケルジャクソンの死の意味を全くないものにしてしまいました。だから、

「えー、そうなんですかー?」

と、できるだけ大きい声で答えました。

私達の仕事は正に掻き入れ時で、毎日深夜1時ごろまでオフィスにいたのですが、マイケルの死以来、彼は石原裕次郎や、自殺したアイドルや、色んな有名人の死について、果ては不気味な未解決事件について真夜中しきりにネットで調べては私に教えてくれるようになりました。

「マイケルの幽霊が出たらしいですよ。」

間もなくネットでマイケルジャクソンの自宅内での動画に彼の影のような物が映りこんでいると話題になったのです。

「へぇ。世界中の舞台で燦燦と踊っていたマイケルも影になったかー。」

私もその映像を彼に見せてもらいました。

「それにしても、あれだけ人に見られる世界にいた人が、影ごときになるなど不思議ですね。うっすらと映像に撮られるだけでも幽霊にしてはエネルギー使うんですかねぇ。」

と、私よりは幽霊に詳しそうな彼に何気なく聞いてみました。彼は待ってましたとばかりに

「そうなんですよ、幽霊にとってこの世に姿を現すというのは、とても大変な作業なんです。」

と、いうのです。何ともいえない気の毒な気持ちになりました。もし、そうであるなら、真夜中の山道のカーブなどで効率よく現れて、最小のエネルギーで最大の恐怖を与え、何らかの効果を得ようとするのも実は健気な努力なのではないか、と思われました。

その後彼は日本に戻って、色んな仕事をしていたようです。たまに帰国した時にはなるべく会って近況を聞いたりしていました。最後に会ったときには、いつも のタリーズではなく、渋谷の焼肉を御馳走してくれました。それからすぐ彼は死にました。自殺だったそうです。以来、定期的に彼は私の夢に出てきます。夢の中では、「あれ、あなた死んだのにどうしたの?」と必ず私は尋ねるのです。「戻ってくる方法があるんですよー」と、笑って答えることもあれ ば、「僕は死んでないんです!」と、怒って掴みかかってくることもあります。寝覚めは決まって悪いです。意を決して、霊験のある人に聞きに行ったら「追善 をしてくれる人がいないんじゃないか?」と、言われました。モンゴル語を直訳すると、「追善を要求している」のだそうです。彼はやはり、ものすごいエネル ギーを使って訴えているのでしょうか?夢にしか出て来れないというのは、やはり、もどかしい限りなのではないでしょうか?友達をおばけと呼ぶのは驚かれるか もしれませんが、彼が私に話した沢山の幽霊の話が、意味のないこととは思えないのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?