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悲劇的な社会構造につながったロールプレイ

【記録】<4つの耳 + プロセスワークのロールプレイ>
    2021年3月5日(金) SLP2021 春合宿

※NVCを学んできて、初めての合宿。
 自分なりに深いところに到達できたロールプレイだったので、書き残します。

シーン:
父親の命日に、母とふたりで、父親が好きだったラーメン屋さんへいく。ラーメン屋さんは狭く、カウンターしかない。
昼時で客が次々と入れ替わり、満席の状態が続いている。

母とわたしが注文して、ラーメンを待っていると、わたしの左隣が空き、男性客がやってきた。

その男性が席に座る際、わたしの方に身体を倒して・・「近いっ」と身体が瞬時に緊張して縮こまる感覚を覚える。
その後も、チラチラとこちらを見ているようだ。(店内にテレビもあるが、男性の左側にあるので、右側に視線を向けられると、自分を見ているように感じる。)
右方向を見ていないときも、目線がチラチラと動き、手も膝の上やテーブルの上で小さく動いている。

わたしは、視線をなるべく男性の方に向けないようにして、狭い席をさらに母寄りにずらして、母に肘がぶつからないようにしながらラーメンを食べた。

店を出てから、母もわたしもそれぞれ用事があったので、店先ですぐに別れた。その後も、母とその男性について話をする時間が持てていないため、その時のエネルギーが身体の中に留まっている感じがしている。


外向きジャッカル:
怖いから、こっちを見ないで。ちょっと不審者っぽい・・やめて。
あぁ、この人が横にきたから、落ち着いて食事できない。


内向きジャッカル:
自分、小さいなぁ。そんなに気にしなくってもいいのに。大したことないじゃん。別に、直接的になにかされた訳でもないし。大袈裟に反応し過ぎる。


内向きキリン:
(男性に女性として見られている視線を感じると、シャッターを閉める「シャッターさん」という自分の中にいるパーツに気づいて)
「シャッターさんの存在、気づいているよ。守りたいんだよね、自分の身の安全と安心が大事。それが脅かされるような気がして、怖いんだよね。不安になってしまうんだよね。」

もっと寛容でありたいのに、多様性の尊重を願っているのに・・相手をジャッジしてしまう自分が悲しいんだね、残念だよね。相手の男性の存在を感じつつも、もっとセルフな自分を保っていたかったんだよね。

お父さんの命日という大切な日に、お母さんと限られた時間を、安らぎと気楽さをもって共有したかったんだよね。それなのに、そのスペースを侵食された感じがして、すごく居心地の悪さを感じたんだよね。


外向きキリン:
(相手に共感するまでに、少し時間がかかる。ペア(男性)の人の助けを借りる)

===== サポート =====

女性が、セクシャリティの上位ランクにいる男性に対して、恐怖心を覚えるのは仕方のないこと。それは、AVや性風俗などの歪んだセクシャリティのイメージ、そして男性よりも女性は弱い存在として、社会構造の奥深くに染み込んでしまっているから。実際に男性が力で強要したら、女性は敵わない。
隣に素敵な女性が座っていたとしても、その人をジロジロ見ない方がよい、という一般的な配慮にまで心を働かせることができない状態なのかもしれない。

そんな状況の中でも、男性に対して共感を寄せよう、もっと理解したいとする姿勢に、申し訳なさも覚える。

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少し自分の中にスペースが産まれて、その特定の男性というよりも、いまの日本社会の構造のなかに存在する、彼のような男性グループに対して、共感する気持ちが湧いてくる。

本当の愛を知らないのかな。心から愛されること、大切にされて、心が安らぐ経験をしたことがないのかな。ただ興味の向くままに、見ていただけなのかな。何かずっと満たされないものが、あるのかな。


プロセスワーク①:わたしがわたしとして、第三者(ペアの人)からの共感を受ける
 (内向きキリンの内容に加えて・・なので一部省略)

共感を受けながら、改めて自分の身を守りたいんだなぁ、安全安心が大事なんだなぁと、体感を伴って感じきる。

そして同時に、セクシャリティに関する悲劇的な構造は構造として、わたしは男性女性、区別なく、みんなの幸せを願っているんだ。世界の平和、調和。それなのに、それを実践できていない感じがして、残念なのだなぁと。そして、どんな時にも、セルフに留まれる自分でありたいと望んでいるのだと気づく。

気持ちがだいぶ落ち着いて、自分のなかにスペースや余裕があることに気づく。物理的な視野も広がって見える感じ。自分個人の経験を、社会的な課題として捉えられるようになる。



プロセスワーク②:わたしが、相手の男性になったつもりで、第三者からの共感を受け取る

少し深呼吸して、彼の身体に入って、店内やわたしを眺めるような感覚になる。
なんとなく目が虚ろで、ただ気が向くままに目線を動かしている感じ。そこに明確な意図はなく、力がない。身体感覚としても、自分に軸がないのを感じて、ふわふわ宙に浮いている感じ。なにがしたいのか、本当にわからない(想像できない、という意味ではなく、リアルに彼に入り込んだ感覚として、何がしたいのか、本当に何も浮かんでこない。)
なんとなく、生きている感じ。(NVC的には、何が自分のニーズなのか、わからないまま長い時が過ぎているような・・)

(パートナーは、わたしが言ったことを伝え返したり、言い換えることを続けてくれる。)


身体に力が入らない。前屈みになる。ぼんやりとして視点が定まらない。自分から芯が取り抜かれたような感覚。


そのときに、わたしが、わたしとして「あぁ、この人が、自分は大切な存在なんだ、愛されているんだと実感できて、自分の命を祝福できる経験ができたら、どんなに救われるだろう」と願った瞬間、涙も溢れ出して、自分(彼を演じている身体)の腹の底から、ググググとエネルギーが湧いてくるのを感じた。
あぁ、本当に、自分のニーズとつながるって、生きるエネルギーそのものなのだ!!!と、身をもって実感する瞬間だった。


おまけ: ペアの人に相手役の男性を演じてもらい、わたしが共感する。
(これをやってみたいと、リクエストして時間を持ってもらった。かなり心にスペースを持てていて、ゼロステップで彼に共感する準備ができていることを自覚する。)


ペアの人は、前屈みになり、目を伏せるような格好で会話をする。

わたし「ここのラーメン、好きなんですか?」
男性 「好きっていうか、他に知らないから。」
わたし「他に選択肢があまりないんですね。」
男性 「スーパーで何か買うか、選ぶのも面倒くさいときは、ここ」
わたし「選ぶのが面倒くさいと感じるときは、ここに来るのが楽なんですね。
    ラーメン、美味しいですか?」
男性 「美味しいっていうか、食べてる間は、他のこと考えなくていいから。
    忘れられるから。」
わたし「そうなんですね、考えたくないことを忘れられる時間なんですね。
    ほっとできる時間になっているのかな?」
男性 「わからない・・」


みたいな会話が延々と続き、いつまで経ってもニーズに辿りつけない感覚。彼には、自分にはニーズがある、ということに気づくことすらも難しいし、実際にこういう状況にいる人がたくさんいることも容易に想像が湧いた。


ロールプレイを終えてから、ペアの人がアドバイスをくれたのは、こういう状態にある人は、いきなり話をしようとしても、それを認知して受け取る感覚が鈍ってしまっているから、まずは「目線を上げて、周囲を見渡してみましょうか」「手足の指を動かすことはできますか?」などと、身体感覚への刺激からはじめるのも方法のひとつだということだった。なるほど・・・


そして、最後に「自分にはニーズがある」ということに、気づいているか、気づけないままなのかも、大きなランクの差として存在するのだということを理解することができた。


わたしが抱く最大の願い「みんなが幸せでありますように」
これを達成するには、NVC的な生き方(自分が大切にしたいニーズに気づき、それにつながって生きる)があることを届けたい人があまりにも多くて、直接ひとりひとりと出会うことは難しいとわかっている。それは、理想の世界にぴょーーんとジャンプするのが難しいことに似ている。

だけど、わたしの落とす ひとしずく が、その理想の世界まで届く波紋のはじまりになることは、誰も否定することはできない。そして、わたしと同じように、ひと粒の しずく を、ぽたり、ぽたりと注ぐ仲間が増えれば、大きな波紋が広がっていくスピードを早めるかもしれない。


だから、NVCは社会変革なんだ。
NVCを学びはじめた当初は、自分を救うために緊急でNVCを必要としていて、NVCが社会変革を担うだなんて、全く想像しなかった。というか、想像が及ばなかった。だけど今、そのことを真っすぐと信じられる自分になっていることを、お祝いしたい気持ちが湧いている。


今回のロールプレイは、本当に今後のわたしのNVC道のなかで、ハイライトになるものになったなぁという感覚がある。
これも、合宿がリアルで叶ったお陰だと思う。ありがたいことです。感謝。

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