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私の周りの陰キャと陽キャについてあれこれ

面接をしていると、自分のことを「人見知り」だとアピールする人がとても多いことに驚く。陰キャ、コミュ障、人見知り。私世代ではメリットと思えない自己紹介を堂々としてくるのだが、「陰キャなんで」〜と嬉しそうに話しているのを見ると、これは若者たちにとってポジティブな情報なのだろうか?実際のところどうなん???

自称陰キャの多くが仮想敵としている陽キャな方々は、過去の悪さ自慢をし意味のないマウントをとってくるような人を指している。実際こういう手合いはスクールカーストの中にあっては頂点にいる事が多く、わたしが学生の頃にももちろん存在した。修学旅行などでは、バスの最後尾の座席をぶんどるような連中?いたよね確かに。
自信満々で見栄えのよいメンバーが多く、いかに学生が「見た目」を重要視するかがよくわかる構図。

そんなグループに憧れたり、そっぽ向いてみたりした思春期の頃。あれからもう30年以上も経っているけれど、彼らは今どんな人になっているのか?

会社にいる同僚は、まさにその頃を象徴するような陽キャな人物。きっとその昔も、女の子にモテ、ちょっと悪さもし、スクールカーストの頂点に君臨していたのではなかろうか?と想像する。だけど人にマウントを取るような傾向はない。社交的で明るく陽気、面倒見がよく金払いもいい。若い社員からの信頼も厚い、ように見える。
私世代が新人当時は上司との付き合いは必須であったし、可愛がられてなんぼみないなところがあった。きっと上司にも可愛がられていただろう。現に今でもそのキャラクターは健在だ。
今自分が上の立場になったのでお返しをしているとこなんだろうなと想像する。私からみても、とてもよくやっていると思う。感心するほど。

ただ、最近の若い人の意見では、上司と昼ごはんを一緒に食べたくないとか、ご馳走なんてしてほしくないとか、私からみると「可愛げのない」ことを言う人も多い。うちの会社の若い社員にはそういう人あまり見かけないので、世の声とのギャップを感じるけれど、要は「人」の問題なのではないかと思うが、実態が見えていないという側面もあるのかもしれない。実は本音を隠している、とかね。

面白いのは、入社した「自称陰キャ」の若手社員が本当にインキャだった事はないし、皆素直で明るく人懐こい。一体これのどこがインキャなのだ?と入社後のギャップに驚きを隠せない。
皆、一様に「インキャ」として防衛線を張り、あらかじめ逃げ道を作っているのだろうか。確かにそう言っておけばうまくいかない場合の逃げ道となる。これが今の人たちの処世術なのか。

私はどちらかというと、人との距離感をあえて大きめに取っていくスタイルで、陽キャな同僚とは相容れない事は多い。少なくとも親しくなるまでに数年はかけていく。それでも私は自分のことを「陰キャ」だとはおもっていないし、自己紹介で「陰キャです」とは言わない。ただ引き寄せた多くの人間関係全てに心を砕く自信がないのでまずは距離をとっている。その辺り、陰キャ要素ありそうだなと思ってみたり。

さて、この同僚とは入社時期が近く、早い時期に「もう少し人に興味を持って」と言われた過去がある。さすがコミュニケーションスキルが高いだけある。他人を見る目も節穴ではないと感心したほどだ。
軽々と人との境界を突破して人間関係を構築していくこの同僚を、私は嫌いではない。自分にはできないことをして、そして一貫している。私は自分のやり方で人との関係性を良好に保つ努力はしているつもりだけど、この同僚には敵わないことも自覚している。

人の名前を忘れない、たわいもない会話を覚えている、誕生日や好きな食べ物など様々な情報をインプットしてある。もちろん会う時には必ず、好きなものを持参し、誕生日には電話でメッセージを送る。同僚がいる場は雰囲気がいい。頭の回転も早くユーモアがありネタに事欠かない。疲れてしまうんじゃないかと心配することもあるが、懐の大きさが違うのだろう。
取り止めもなく書いたからどうにも締まりが悪い。

自分もそうだから思うのだけど、人との関係に臆病になって距離をとりすぎるのは、相手へのマナーと思っていたりするけれど実は自己防衛である。
忙しいほどに人への接触を怖がらない同僚がいてくれるおかげで、仕事での恩恵に預かる場面が実は多くある。程よい関係というのが実は一番難しく、良いことも悪いことも色々あるのが人間関係であり社会なのだと。それを避けて生きる私は、同僚より人間として豊かであるはずもなく、今更だけど同僚を見習って半歩ほど踏み出してみようかと思っている今日この頃。



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