私はよく忘れ物をする

昨日なんて娘の塾のテストなのに
筆箱を忘れて行かせてしまった

いつもの癖でランドセルに入れてしまったのだ。

今朝も、コーヒーを淹れようとして
お湯を沸かして安心してしまい
コーヒーを淹れるのを忘れてた笑

日常茶飯事だ。

そんな私を旦那さんが
あ、お湯が沸いて
安心して忘れちゃったんだねと

コーヒーを作ってくれた。

ありがたや。

忘れちゃうからこそ

忘れたから貸してとか
ヘルプを出せるのかもしれない。

子供の時は忘れ物が多い割に
それができない人ではあったが

貸して、その一言が言えなかった。

恥ずかしかったのかもしれないし
その一言を言うことが 
私の中ではハードルが高いことだった

怒られるて思ってたのかもしれない

今となってはそのことも朧げだ。

40年生きてくると、いろんなことがある

全ては覚えてない
辛かったことも鮮明に覚えてたのに
最近は思い出せない

辛かった思い出も
なんとなく、浄化して書き換えられてきた感はある。


あの頃握りしめてぐちゃぐちゃにしてた
思い出を。一つずつ紐解いて
自分の悲しかった辛かった思いと

そして別の視点から見る自分と。

大人になったからこそ、
理解できる部分と。

そんなことをしてたからか
過去の辛いことも薄らいできたような
気がする。

事実としてはあっても、そこを
どう見るか、どう脚色するかは
自分自身だ、

だったら悪い方ばかりにしないで
客観的にみたほうが自分も
浮かばれると言うもんだ。

もう一度傷をナイフでえぐらなくたって
いいのだ。

悲しかった事実辛かった事実はあっても
蓋をするのではなく、
あったことを反芻しないで
ただ、うけとめる。

あの頃に戻らないで。
ただ、ただ受け止める。

そんなことをしてるうちに
昔のことを前みたいに思い出したり
することは減った。

過去は大事、今の自分を作るから。

でも全ては覚えてられない。
辛かったことにフォーカスするより
よかったことにここからはフォーカスして
生きていきたいと思うのだ。
あと40年くらいは。

私の母は父に対して
新婚時代の不満を何十年とにぎりつづけ
ずっとその不満を娘である私に
言い続けた。
それだけ悲しくつらく、そして
怒りや悲しみを持ち続けて
生きてきたのだろう。
そうすることで生きることを
してきたのだろう。

つい先日81歳になった
脳の病気をしたからか
年齢なのか、前より記憶が
朧げだ。
辛かったことなんて忘れてしまったかのよう。

生きるために握り続けていた
かの辛い思い出を
口にすることがなくなった。

歳をとると言うことは
忘れていくことなのかもしれない。

たくさんのものを持ってあの世にはいけないから、持てる荷物は
いい思い出で埋め尽くしたらいいのかもしれない。

辛かった思い出も
それもまた、人生の彩り、スパイスに

必要だったことかもしれない。

忘れることは、悪いことじゃない。
そして忘れるからこそ
たくさんのことを成し遂げていけるのが
人間なのかもしれないなと思うのです。



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