嫌な人と離れまくったら、孤独な平和が待っていた

先日、42歳になった。

誕生日は、はじめて旅館に泊まって上膳据膳した。
ずっと憧れてたいたこと。
それを自分の力で叶えられて、とても嬉しい。

今、本当に平和。
誰も私を傷つけることを言わない。
こどもたちは可愛く、仲良く、優しい。
最高だ。

でも知らなかった。

平和は孤独と引き換えだった。

誰も頼れない。
配偶者がいなくなり、私をうっすら守っていた膜がなくなったのを感じる。

これからは、私が本当に自立していかないといけないんだなって。
金銭面もだけど、精神的にも依存先がなくなったんだなって。

どれだけ理不尽な目にあっても、
嫌だと言えなかった時代は、
それはそれで守られていたところもあったんだ。

家族がいないってことの、
血縁が弱いってことの、
この社会で生きる脆弱さを、噛み締めてる。

はじめて、共に生きるパートナーって、ほしくなるんだなぁってびっくりしてる。

男なんていらないと思ってきたのにね。
男がいないと駄目、って女を、蔑んでいたのにね。

こどもも大きくなってきて、
子育ての終わりが、
まだ遠いけどちらっと見えたのも、大きい。

おだやかで平和すぎる家。
はじめての感覚で戸惑ってる。
家ではいつも居心地悪かったから、
家族がいてもバラバラで泣いてたから、
こんなにみんな仲良しで楽しいのははじめてで。

家をこんなに安心できる場所にできた自分を褒めてあげたいし、誇らしいけど。
初めて見る景色に、最近戸惑ってる。

だんだん老いてくる自分に、気弱になってくる。

40のとき、今を逃したらもう絶対に離婚できないと思った。
その予感は当たっていたな。
あのときが、気力体力美しさのピークだった。
だから離婚できた。

できたけど、別居でもよかったんじゃない?とよぎる自分がいるんだよ。
あの頃、毎日不安定だったのに、人の記憶の改ざん能力は恐ろしい。
いい思い出風にまとめてくるから。

今では元夫や母親が、気を使って接してくれるのがとても楽チンで、あんなに心無い言動を繰り返した人たちが弱ってきてるのが可笑しい。

最近、疎遠になってた友達と何人か会った。
そしたらひさしぶりに話がはずむ子、気を遣って疲れる子、話題が噛み合わなくなってた子、といた。

私はまた、居心地がいい友達だけ残して、会わなくなるだろうな。


さみしい、


けど、自由だ。


まるでスナフキンみたいだな、私は。

そう思ったら格好いいかも。

ちなみにスナフキンは、
自由が幸せではないと言ってる。

そうだよね、そう思うよ。
私もできるなら、しがらみの中で生きたい。
だけど、その刺激に耐えられない神経なんだもの。
仕方ないんだ。

こうしか生きられないだけ。

きっとスナフキンも、そうだったんじゃないかな、なんて…ね





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