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キオクノート #13 そして大阪へ

またまた2ヶ月以上たってしまった、反省。

こういうのは続けてナンボだとはわかっていても、最初の一文字書くか書かないかによりますよね。

神戸での勤務がすべて終了し、あたたかい送別会を受けてぼくの料理長生活は終了しました。

勤務中も空き時間を利用して探していた物件でしたが、なかなか巡り合わず、ちょうどこの頃先輩達の神戸での独立も相次ぎ、ぼくの居場所が少なくなってる状態でもあったんです。

ぼくとしては関西圏なら範囲内でしたが、住み慣れて知り合いもお客さんもいる神戸から出て独立というのは周りからは9割反対されましたね、当然か。

ただ、最初から繁華街での出店が嫌だったぼくは公園近くや川沿い、など緑や水の近くを重点的に物件探ししていました。

なので余計に物件が少ないわけです、西へ、地元方向へ帰るアタマはなかったので、神戸から東へ東へと足は伸び、必然的にツテもアテもない土地にたどり着いてしまう訳です。

その頃には本格的に大阪で出店しようと心に決めていたので、住む家も大阪に引っ越していました。

今思えばコレは本当に無謀で、普通は物件決めてからな訳ですが若かったぼくは本当に勢いで引っ越したのでした。

しかしそのおかげで自転車を使って物件探しができるようになり、大阪市内の公園という公園、川沿いという川沿いをブラブラふらふらと移動しまくります。

そんな中昼下がりに公園沿いでふと見つけた空き店舗の貼紙。

そこはガラス張りで中は元飲食店の様でした。
自転車にまたがったまま中を凝視していたぼくの肩を誰かが叩きました。
「ここの管理人やけど、興味あるんやったら条件みていきまっか?」
即答でお願いしますと言いそのビルの上階へ向かい、数分後出てくるときには仮契約書を手にしていたのでした。

そこから改めて周辺のリサーチです。

ところが目の前の公園にはいわゆるブルーシートで暮らす人たちがたくさん、飲食店は片手で数えるほど、駅から遠い、夜は人が歩いていないという悪条件しか見当たらない訳です。

一人で考えてもわからなくなってしまったので、店舗デザイナーさんを呼び寄せて見てもらうと「面白いものができそう」と。

物件自体は非常に気に入ったのでその言葉で決心し、仮図面と見積もりをおねがいし、ぼくはその足で融資を受けるために国民金融公庫、当時「コッキン」と呼ばれていた管轄の金融機関に向かい、申込用紙も手に入れます。

これが4月中頃、ここからオープンまでは一般的には1ヶ月くらいでしょうか、ウチの場合はゴールデンウィークをはさんでしまい1ヶ月半でオープンにこぎつけます。

その間に決断を下さなければならない事多数、次回は記憶にある限りの準備を書こうと思います。

読んでいただいてありがとうございます。マガジンもちらっと見ていただけるとうれしいです。