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キオクノート#11 独立するには

1999年。

この頃のぼくは自分の店を持ちたい願望が強くなってきていて、もう独立まで最短距離で行きたいと思っていたんです。

20席位でカウンター席があってカジュアルだけど上質な時代に受け入れられた料理がメニューに並び、賑やかな笑顔のあふれる小さな店。

そんな理想をもってフレンチレストランの次に就職したのは、街のイタリアン。

レストラン時代に仕事終わりでよく通っていた店が、理想とする雰囲気に近かったのでぼくから働きたいとお願いした次第です。

上記の小さな店の理想はここに就職前からあったのか、ここに就職したからそう思ったのか定かではないけれど。

当時はスタッフも充実していて、姉妹店を増やす計画が立ち上がり、かなり勢いのある、とんでもなく忙しい店でした。

料理の基本は出来るとはいえ、コースで進むフレンチとは優先順位の取捨選択方法がまるで違うんですね、覚えることとやらなければいけないことの波状攻撃が押し寄せてくる感じ、頭の中で整理して声に出してスタッフと意思疎通し、オープンキッチンだから接客もする。

でも、この忙しさは、これこれ、これだよぼくが求めてたの!のまさにこれだったんです。充実感、達成感のある仕事とでも言うのでしょうか。

働いていて楽しかったので、もちろんイタリア料理もめちゃくちゃ勉強しました。転職してありがたいことに給料も上がって、そのほとんどをイタリアンの店の食べ歩きと料理の本に費やします。

当時の関西は出来る店ほとんどイタリアンといっても過言ではないほどの充実ぶりで、街の情報誌を頼りに大阪、京都と出かけていきました。

さらに幸運なことに同時期にこの店に入ることになったシェフ、そう前述の姉妹店のシェフ候補ですが、この人かなりのイタリア料理マニアで、ぼくは非常に丁寧にイタリア料理を学ぶことができたんです。

今のように手軽に動画でレシピを追うなんて出来ない頃なので、間近でじっくり勉強できたのはおおきい。

おかげで就職数ヶ月でぼくは仕入れやストーブ前を担当させてもらえるようになりました。

前述の姉妹店計画も実現に向けて動き出し、スタッフも本店と姉妹店に分けられます。

イタリアンの師匠とぼくが呼んでいるシェフは姉妹店のシェフ兼グループの総料理長に、ぼくは本店の料理担当に正式決定です。

仲の良い先輩の店長やマネージャーに支えられて、一つのことを任される仕事というものが始まりました。ここからぐっと料理が楽しくなり、お店づくりのことを真剣に考えるようになっていったんです。

オーナーシェフとして独立するには。

この同業者なら絶対一度は考える問の答えをぼくは5年後独立するまで模索しつづけることになります。

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