「院宮王臣家」ではなく「諸院諸宮王臣家」が適切?王朝国家を作った勢力
以前「律令国家の崩壊」シリーズで律令国家が王朝国家へと変遷していく過程を説明しましたが、やや一面的な解説になっていたと感じます。
そこで、今回は改めて律令国家から王朝国家への変化のキーマンとなる勢力について説明しようと思います。
この勢力、教科書には「院宮王臣家」と書いているのですが、私は後述の理由で「諸院諸宮王臣家」が適切であると考えます。
が、そのことを言おうと思っても「そもそも院宮王臣家って、何?」と言う人も少なくないでしょう。
従って、まず「院宮王臣家」或いは「諸院諸宮王臣家」がどういう勢力なのか?と言うことについてから、説明させていただきます。
政府も困った半グレ並みに暴走する特権階級
奈良時代から平安時代前期にかけての重要な法令を集めた、今でいう『ポケット六法』みたいな本に『類聚三代格』と言う本があります。その本を読むと、当時の政府が何に対処して法令を出したがわかります。
その中に「応禁断諸院諸宮王臣家相代百姓争訟田宅資財事」という命令(太政官符)があります。
その内容を簡単に言うと、まず「百姓と戸(家)や田を争ったり、浮浪(戸籍がない人)の財物を奪ったり、国司や郡司の許可なくその地域に乱入して奪い合いをしている」という、悪い奴らがいるということです。
今でいうと、一般人とは日常的にトラブルを起こし、ホームレスからは略奪を行い、行政の制止も聞かずにあちこちで抗争をしている、と言う感じでしょうか。それだけ聞くと、半グレ集団のようなものを意識しますね。
しかし、この太政官符によると「犯人」は半グレ集団ではなく、立派な「堅気」の人間なのです。
この太政官符には、こうした問題を起こしている輩を「諸院諸宮及び諸王臣家」である、と明言しています。
これには政府も困りました。何しろ、この「犯人」がチンピラやヤクザではなく、当の政府の偉いさんだったからです。この太政官符は、書かされた官僚たちの苦労が浮かぶような内容になっています。
と、そこに行く前に「諸院諸宮及び諸王臣家」とは何か?と言うことから説明しましょう。
皇室の中でもトップクラスの「諸院諸宮」
まず「諸院諸宮」ですが、これが中々厄介な「偉い人」です。
諸院とは、天皇ら皇室の離宮を管理している後院や上皇・女院等の家政機関を指します。
諸宮とは、中宮(皇后、皇太后、大皇太后、皇太妃、大皇太妃、皇太夫人、大皇太夫人の家政機関)や東宮(皇太子の家政機関)を指します。
言葉を並べるだけで「偉い」感がするとは思いますが、もう少し踏み込んで説明しますね。
律令では、天皇陛下直属の家政機関がありません。
家政機関と言うのは、私的な事柄をサポートする機関です。一応侍従が八人いますが、彼らは中務省の官僚です。
つまり、天皇陛下の身の回りのことをしている侍従たちは、直接陛下の指示で動くのではなく、中務卿の指示で動いています。
無論、中務卿も天皇陛下の臣下ですが、中務卿の業務は戸籍の確認をはじめ様々なものがあるので、常に中務卿が天皇の近くで控えているわけではありません。天皇が中務卿に指示を出したい場合は、まず、尚侍という女官に言葉を伝えます。
尚侍は天皇の指示を「口頭で」中務卿に伝えます。なお、尚侍を天皇の側室と勘違いしている人もいますが、尚侍は人妻のこともあるので、別に陛下の側室ではありません。
中務卿は尚侍から聞いた天皇の指示を紙に書き、尚侍がその内容で相違ないと判断すると、「これが陛下の命令であるぞ!」とやっと具体的な指示を出します。
この手続き、面倒です。しかし「天皇にプライベートは無い!」と解釈されたのでしょう、“大筋では”この状態がずっと継承されることになります。
一方、皇后や皇太子、さらに天皇の母親である皇太后や皇太夫人等については「宮」(中宮や東宮)と言う家政機関が設置されます。
さらに、元天皇である上皇にも「院」と言う家政機関が設置されます。
また、天皇側も「皇室全体のプライベート施設」として離宮を作り、そこに「後院」という役所を設置します。
これらの家政機関は、家政婦のような女官が沢山控えている・・・と言うわけではなく、男性の官僚が主導で構成されています。日本の後宮は男子禁制ではないので、その当たりは誤解無きよう。
天皇自身は「朕は全ての百姓の幸せを祈っておる!」と言うことですので、利益の追求はできません。収入は全て公費。公費ですから、ポケットマネーのようなものはありません。
一方、「院」や「宮」は違います。彼らは独自の荘園(私有地)を持ち、経済活動を積極的に行ったのです。
今でいう大臣クラスの「王臣家」
荘園とは、皇族・貴族・寺社が有する私有地のことです。『墾田永年私財法』以降、上流階級による私有地が爆発的に増えました。つまり、律令国家の理念に反して格差が拡大したということです。
「諸院諸宮」はこの国の君主である天皇の近親なのですから、荘園などなくても生きていけるはずです。それなのに彼らが荘園獲得に勤しんだのは「王臣家」に対抗する必要があったからです。
「王臣家」の「王」とは皇親(皇族)のことで「臣」とは臣下のことですが、この場合の「王臣家」はその中でも特に「従三位以上」の、概ね「公卿」と呼ばれる「上流貴族」の家を指します。今でいうと「大臣・副大臣」クラスの人たちです。
既に「律令国家の崩壊」シリーズで述べましたが、『墾田永年私財法』の主な内容は次の通りです。
・新しく開墾した田は自分のものにしてもいいよ!
・「但し」私有できる田の面積には身分による制限があるよ!
今の時代もそうですが、法令は但し書きが大切。
学校では一体どこに忖度したのか、あまり教えていませんが、『墾田永年私財法』は上級貴族が自分達だけ土地を所有するために作った法律です。
その後も次々と上級貴族、つまり「王臣家」に有利な法令が作られていったので、あちこちに王臣家の荘園が出来ました。
その「諸王臣家」に対抗したのが「諸院諸宮」です。彼らは「臣下に負けてられるか!」とばかりに独自の荘園を築いていったのです。
広大な土地を持つとそれを管理するには人員が必要です。律令では「諸院諸宮」や「諸王臣家」にも家令を始めとする公費で家政を担ってくれる人の存在が記されていますが、そんなのでは足りなくなります。
彼らは土地を多く持っているので、金はあります。その金で「個人的に」色々な人を雇います。そして全国の荘園に子分を派遣します。
が、そもそも私利私欲で荘園を築くような人が雇った子分。各地で好き勝手行動するようになります。
「百姓」と「浮浪」の扱いの違い
それにしても、件の「応禁断諸院諸宮王臣家相代百姓争訟田宅資財事」を見ると、中々面白い状況がうかがえます。
そこには「或いは百姓と戸田を争い、或いは浮浪の財物を奪い」と書いてあります。
百姓は諸院諸宮や諸王臣家と「争って」いますが、浮浪は一方的に「奪われて」います。
実は、百姓と浮浪とは大きく身分が異なります。ここで言う「浮浪」とは「浮浪者」のことではありません。浮浪者から財物を奪っても大した利益にはなりません。「浮浪」という身分の人のことを指しています。
百姓とは、次の権利と義務を持った人たちです。
・氏族に属して姓を名乗る。
・口分田を支給される。
・政治に口を出す権利を有する。
・租税だけでなくそれ以外の税も支払う。
・公共事業に従事する。
人口の大多数を占める百姓は、税負担を負いながらも政治的発言権を保障されているため、一定の社会的地位がありました。
一方、浮浪は戸籍を捨てて政府の許可なく別の地に住んだ人たちで、公式には「犯罪者」でしたが、あまりにも数が多いので見逃されていました。
百姓は庶民とはいえ、政治的発言権はあるので、諸院諸宮や諸王臣家に田を奪われると抗議します。ですが、浮浪はそのような法的保護を受けることはできません。
そこで、一方で百姓たちと「争い」を起こしていた諸院諸宮や諸王臣家の子分たちは、こう思いついたのです。
「そうか!百姓は発言権があるから、下手に絡むと争いになって大変だ。しかし、最初から戸籍にも載っていないような浮浪から財物を奪っても、彼らには政治的な力は皆無だから大丈夫だな!」
彼らを雇っている方も「お前ら、よく稼いで来いよ!」と言って子分を地方に送り込んでいますから、子分が浮浪たちから略奪していても気にしません。
「これが今年の収穫です!この通り、沢山の財物が手に入りました!」
「おお、お前も私の為によく働いてくれたな!褒美を取らす!」
と言う感じで、逆に優遇される始末です。
この問題を受けて太政官の官僚たちは、頭を抱えました。
子分だけ罰して幕引きを図る?
各地での「諸院諸宮及び諸王臣家」の行状を「応禁断諸院諸宮王臣家相代百姓争訟田宅資財事」は非難していますが、かと言って、太政官の官僚にも大臣レベル以上の偉いさん相手に喧嘩を売る勇気はありません。何しろ、犯人は自分たちの上司です。
そこで、太政官はまずこういう風に決めました。
「これから財物を争ったりしている輩は、仮に減刑等の特権を持っていても、庶民を同じように罰するよ!争っていた財産は没収しますよ!」
ここまではあくまでも子分たちを罰する話です。では、その上に立つ諸院諸宮や王臣家はどうなるのでしょうか?
「諸院諸宮王臣家がこんなことを許容していたら、別当や家司を違勅の罪で罰するからね!これで貧しい民は救われて、権勢を誇る家による害は止めることが出来るでしょう。」
別当とは、本職は朝廷の官僚ですが、副業と言うかプライベートで諸院諸宮や王臣家の執事等をやっている人たちです。
家司とは、家令等の律令に定められた公費で雇われた家政職員と、執事等の私費で雇われた家政職員で構成される、家政機関です。
どういうことかと言うと、家政機関の人間だけ罰して上級貴族たちは罰しない・・・お約束の「トカゲの尻尾切り」な命令が下りました。
無論、こんなことで諸院諸宮や王臣家の無法者が大人しくなるはずがなく、このまま律令法の権威は落ちて律令国家は王朝国家へと移行していくわけです。
「院宮王臣家」の名称は不適切?
ところで、私も従来使用していた「院宮王臣家」の名称ですが、『類聚三代格』には「院宮王臣家」という熟語は管見の限り存在しませんでした。
代わりに見つかったのは今回使用した「諸院諸宮王臣家」や「諸院諸宮諸家」「諸院諸宮諸司諸家」「諸院諸宮諸司諸寺諸王臣家」等の用例です。
これを見るとわかるように「院」や「宮」は「寺」や「司(役所)」と並んで「家」とは別の分類として使用されています。
実は、律令に於いて「院」や「宮」は「家」とは区別されています。「宮家」のような用法は中世以降のものです。
「院宮王臣家」と言うと「院宮王臣の家」と誤解される可能性がありますが、「王の家」「臣の家」はあっても「院の家」「宮の家」はありません。(「家政機関」と言うのは説明の為にわかりやすく用いましたが、当時の法令に基づく用語ではありません。)
なので「院宮王臣家」と言うよりも「諸院諸宮王臣家」と言う方が適切であると考えます。
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