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立憲主義回復のために古典を読む

 昨年、憲法学会元理事長の高乗正臣先生に電話をさせて頂いた際、高乗先生のご著書『亡国の憲法九条 保守派憲法学者の自衛隊違憲論』という本を紹介された。
 保守派どころか、リベラル派の間でも「自衛隊合憲論」が主流であり、自衛隊違憲を唱えているのは日本共産党と社民党ぐらい、社民党も「違憲状態論」と曖昧な立場に終始して、共産党も「連立政権入りするなら政府としては自衛隊合憲の立場に立つ」と述べている状況において、高乗先生が自衛隊違憲論を唱えられているのは驚きであった。
 私自身、佐藤幸治先生の本で勉強していたこともあり「武力と戦力は違う、自衛隊は戦力ではない武力だから合憲である」という解釈を採っていたが、佐藤幸治先生も編集に参画しているはずの『注釈 日本国憲法』において佐藤先生の解釈が紹介された上で明確に否定されていたので(他の編集者の同意する処とならなったのであろう)、一抹の不安はあった。
 さて、そもそも「自衛隊は戦力ではない」という解釈が成り立たなければ、佐藤幸治先生の自衛隊合憲論は前提からして成り立たないのである。
 私は佐藤幸治先生の本を読んだ上で「自衛隊が戦力ではない」という根拠がどこにも書いておらず、戦力とは「近代戦争を遂行する能力」である以上、自衛隊もそれに該当するはず、いや、該当しなければ困るはずだがどういうロジックであろうか、という疑問を抱いており、実は高乗先生に電話した際にも高乗先生ならばその答えを知っていると思っていた。
 しかし、意外にも高乗先生は自衛隊違憲論者であったので、慌てて高乗先生のご著書を購入して高乗先生の主張を確認した。高乗先生のご主張は明快であった。

「二十二万を超える隊員、その組織と編成、近代的装備、訓練、教育、予算などを見るかぎり、現在の自衛隊は明らかに右に言う戦力(軍隊)といわざるを得ないと思われる。これを戦力ではない、軍隊ではないと解釈すること自体、明らかに欺瞞であろう。」

 一方で高乗先生は憲法9条について「3項加憲」ではなく「2項改正」でなければならないと主張されている。その理由は立憲主義を守るためである。

「政府が、憲法改正手続が困難であることを理由に、歯止めのない「解釈改憲」の道を選択することは、立憲主義の基礎を切り崩し、それを空洞化する危険がある。現実とかけ離れた憲法規定は、かえって立憲主義を形骸化することから、憲法改正によって、憲法上許容されることと許容されないこととの線引きを明確化し、今後は憲法を厳格に遵守していく道を選択すべきであろう。」

 さて、高乗先生の議論は三潴信吾先生の主張を引き継がれたものである。三潴信吾先生の著書『日本憲法要論』においても高乗先生と概ね同じ内容のことが記されている。
 その『日本憲法要論』で国家法人説に影響を与えたプーフェンドルフが紹介されていた。浅学な私はプーフェンドルフの存在すら知らなかったので、先日プーフェンドルフの著書『自然法にもとづく人間と市民の義務』を購入した。
 プーフェンドルフの著書を読んで、私はその内容がモンテスキューと似ていることに驚いたが、少し調べるとモンテスキューはプーフェンドルフを熟読していたということである。単に私が無知であっただけであった。
 三潴信吾先生の『日本憲法要論』は筧克彦先生の憲法学を西欧の学者の主張との関係も示しながら判りやすく説明している。
 戦後の我が国にも三潴信吾先生や高乗正臣先生のような憲法学者はおられるが、学校教育その他においては、モンテスキューですら単に「三権分立を説いた」と記されるのみで、モンテスキューが君主政体、今でいう立憲君主制を理想としたことは一切説明が無く、ルソーの思想が紹介されるのみである。
 況してや、我が国が誇る公法学者の筧克彦先生の議論は学校教育には全く反映されていない。これは学校というよりも、学習指導要領を作成している政府の責任でもある。
 しかし、文句ばかり言っていても何も変わらないので、教育産業の末端にいる私が専門外であることを言い訳にせずに先ずは率先して勉強しようと思う次第である。


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