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家庭連合(旧統一教会)ではなくエホバの証人をターゲットにした自民党政権

 厚生労働省から信仰に基づく医療拒否を「虐待」に含めた瞬間から、自民党は所謂「宗教2世」問題で家庭連合(旧統一教会)ではなくエホバの証人をスケープゴートにして取り締まる気であろう、と私は予想していた。
 そのことは色々な人に直接話していたし、恐らくSNSでも書いていたはずだ、と思っていたら、取り敢えず一件見つかった。

 「行き過ぎ」と言うのは、他の宗教団体と比較して重い処分を受けることを意味している。
 例えば家庭連合は正体隠し勧誘等によって裁判で不法行為を怒っていることが認定されているが、エホバの証人は正体隠し勧誘のようなことは一切していない。むしろ執拗なぐらい、正体を明かしながら路上でもどこでも勧誘をし、家にまで「エホバの証人ですが~」とやってくる。
 なお、正体隠し勧誘が問題視されている今、「信仰を隠す自由」を信教の自由に含めるべきかどうかは議論があってしかるべきである。私は「信仰を隠す自由」など制限されるべきであると考える。少なくとも自身の信仰を偽るべきではない。

 読売新聞によると、エホバの証人の「輸血拒否」が児童虐待扱いされているらしい。

「エホバの証人」の輸血拒否、児童虐待として弁護士らが厚労省に通報へ
2023/02/27 06:40

 宗教団体「エホバの証人」が、児童虐待防止に関する厚生労働省の指針に反し、子どもに輸血を受けさせないよう信者への指導を続けているとして、弁護士らが27日、厚労省に通報する。弁護士らは取材に「子どもの命に関わる重大な問題だ」としている。
 エホバの証人はキリスト教系で米国に世界本部があり、信仰上の理由で輸血を拒否することで知られる。
 厚労省の指針は昨年12月、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を巡る問題を受けて自治体向けに策定された。信者の親を持つ「宗教2世」への児童虐待を防止するのが狙いで、輸血を含め必要な医療を受けさせないことも虐待に当たると明記している。
 田中広太郎弁護士(東京弁護士会)によると、エホバの証人は今年に入っても、子どもへの輸血を拒否するよう信者らに指導している。信者らは、信仰上の理由で「無輸血治療」を希望すると記した「身元証明書」を子どもに持たせ、事故などの緊急時に医師らに伝えるようにしている。
 田中弁護士らは先月、エホバの証人に関する弁護団を結成した。「子どもの命が心配だ」といった声が現役の信者からも寄せられているという。
 エホバの証人は厚労省の指針公表後の昨年末、「親たちは、自分たちの信条を子どもに伝え、健全なモラルに従って生活するよう教える責任を真剣に受け止めている」などとする声明を出していた。
 最高裁は2000年、宗教上の信念に基づいて輸血を拒むことを患者の権利と認める判断を示した。一方、15歳未満については日本輸血・細胞治療学会などが08年、本人や親が拒否しても生命の危険があれば輸血を行うとの指針を公表している。

読売新聞「「エホバの証人」の輸血拒否、児童虐待として弁護士らが厚労省に通報へ」

 子供に輸血拒否を強要するのは確かに問題であるが、かと言って子供本人が拒否していても輸血を強要する方針を示している日本輸血・細胞治療学会も大問題だ。
 輸血拒否の強要も輸血の強要も、どちらもダメであることは言うまでもない。
 輸血拒否の強要はダメで輸血の強要は良いというのは、学校権力による肉食強要を無視してアニマルライツ活動家の菜食推奨を「強要」扱いするアンチヴィーガン権力者による有害ワクチンの推奨は当然視して権力の無い反ワクチンの呼びかけを強要扱いするワクチンカルトの同類である。そのようなダブルスタンダードは、人間として最もやってはいけないことだ。
 そもそも、私はエホバの証人の信者でも何でもないが、輸血に危険な側面があることは知っている。
 ワクチン接種拒否者がワクチン接種者から輸血を受けると、実質的にワクチン接種と同じ効果となり副反応を受ける可能性があり、また、輸血によるHIVの感染リスクもゼロには出来ない。
 そういう点から、輸血を拒否する思想や宗教が誕生しても一概にそれを否定するのは、明らかに間違っている。
 ただ、エホバの証人の問題点は良くも悪くもその教条主義的な面にある。その点、良くも悪くも「融通無碍」で「共産主義者はサタン」と言いながら「平壌政府」(自称「朝鮮民主主義人民共和国」)と組む家庭連合とは正反対だ。
 そのような教条主義の場合、「輸血を受けるぐらいなら死んだ方がマシ」と本気で信じて、むしろ死ぬことを良しとしてしまう可能性がある。
 しかし、そのような教育も「信仰を隠す自由」と同じく「親が子供に宗教教育を受けさせる自由」を「信教の自由」に含めている今の日本では「合法」扱いされかねない。

 私は法学部出身では無いですが、当該議員は弁護士です。当然、信教の自由については百も承知のはずですが、私も素人なりに憲法学の教科書的存在である芦部先生の『憲法』を読んでみました。するとこう書いてあります。

「信仰の自由とは,宗教を信仰し,または信仰しないこと,信仰する宗教を選択し,または変更することについて,個人が任意に決定する自由である。これは,個人の内心における自由であって,絶対に侵すことは許されない。この結果,①内面的な信仰の自由の外部への表現である信仰告白の自由が当然に認められる。国は,個人に対し信仰の告白を強制したり(たとえば,江戸幕府がキリシタン禁圧のため行った宗門改め),あるいは信仰に反する行為を強制したりすること(たとえば踏絵)は,許されないし,宗教と無関係な行政上・司法上の要請によっても,いずれの宗教団体に属するかなど,個人に信仰の証明を要求してはならない(もっとも,ここに言う「強制」とは,直接的ないし物理的なものに限られず,間接的・付随的な負担を個人の信教の自由に課すものも含む)。②信仰または不信仲のいかんによって特別の利益または不利益を受けない自由(これは憲法14条の「信条」による差別の禁止と重なり合う),③両親が子どもに自己の好む宗教を教育し自己の好む宗教学校に進学させる自由,および宗教的教育を受けまたは受けない自由(この宗教的教育の自由を宗教的行為の自由の一形態とみる説もある)も,信仰の自由から派生する。」

 この解釈は憲法学の通説的なものでしょうが、世間一般の感覚とはかなりズレがあるようです。
 例えば、③の「両親が子どもに自己の好む宗教を教育し自己の好む宗教学校に進学させる自由」については、今話題の「宗教二世」問題の解決を困難とするでしょう。
 もっとも、過去に述べたように「宗教二世」と言い方だと、殆どすべての国民は生まれながらに産土神社や伝統仏教の信者としてカウントされているのですから、この用語を使う人の本当の目的が「カルト二世」問題の解決ではなく、神社神道や伝統仏教の弾圧にあることは明白です。そうした宗教弾圧を防ぐために③の自由があるというのは、一応合理的な解釈であるとは言えます。
 しかしながら、法律上は未成年者にも行為能力は無いが意思能力はあると解釈されており、それと③の両親の自由とを組み合わせると、両親が子供の意思を無視して特定の宗教学校に進学させることも認められてしまいますし、実際現行法ではそれを阻止することは困難であるはずです。(児童相談所が「保護」して学校にも通わせないという怖ろしい強権発動の例はありますが、児童相談所の問題点については別に触れさせていただきます。)
 生長の家や霊友会、立正佼成会のように伝統宗教との二重信仰(実際には多くの場合は神社神道・伝統仏教との「三重信仰」)を原則とする新興宗教であるとこうした問題は起きにくいですが、アメリカでは子供を学校に通わせることを拒否する一部クリスチャンによるホームスクール運動があり、日本でもほんみちのように高校進学を拒否している新興宗教が存在しています。
 ホームスクール運動もほんみちも、どちらも反社会的な活動はしておらず、彼らの信仰自体は信教の自由の範囲内なのですが、もしも両親がこれらの宗教の信徒で子供が学校に進学したいという希望を持っていた場合どうするかは、現行法は充分に想定していないと感じます。恐らく大多数の日本人は「子供を学校に進学させてあげるべき」と考えるのではないでしょうか?

拙稿「政治家に「信仰を隠す自由」はあるのか?」

 このようにエホバの証人の問題一つをとっても憲法解釈等も絡む複雑な問題なのだが、現在家庭連合ではなくエホバの証人が狙い撃ちされる気配があるのは、自民党とその支持母体(というよりも黒幕)である医療利権複合体の意向が強いであろう。
 我が国を支配する医療利権複合体を打破しなければ、解決できる問題も解決できなくなるのである。

ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。 拙い記事ではありますが、宜しければサポートをよろしくお願いします。 いただいたサポートは「日本SRGM連盟」「日本アニマルライツ連盟」の運営や「生命尊重の社会実現」のための活動費とさせていただきます。