見出し画像

歴史学の方法について――丸山晋司(@nemurikappa)氏に応える

 歴史学の方法論には釈古派と疑古派という大きく分けての二つの方法がある。この二つの方法論は中国史における用例ではあるが、日本史においても津田左右吉の「造作史観」(津田史学)は明らかに疑古派の影響を受けており、それが戦後史学の主流となっている。
 津田史学を象徴する学説が「神武天皇架空説」であることは言うまでも無いであろう。津田左右吉は神武天皇については西暦6世紀ごろの史官による造作であると考えたのである。
 しかし、それはいわば「何でもあり」の方法論だ。
 『古事記』『日本書紀』は西暦8世紀に出来ているが、その段階で様々な史料を編纂している。だが、その「編纂前の史料」の段階ですでに「造作」が行われている、等と言えば身も蓋もない。
 確かに、論理的にはその可能性は「否定できない」が、それは同時に「他の可能性もある」ことになる。
 仮説とは「検証可能性があるもの」を指す。「造作をした可能性がある」というのは、確かに、その可能性はゼロとは言えないが、それだけに検証可能性が皆無である。
 昨日、丸山晋司氏がTwitterで私の歴史学の方法について回答を求めた。そもそもこのような問題に対する議論はTwitterではなくブログ等で行うべきであろう。Twitter上での議論が概して不毛であることは、今さら論ずるまでも無い。
 それはともかくとして、丸山晋司氏は「神武天皇実在説」も「神武天皇架空説」もどちらも「等価」である旨、言われている。それこそが丸山晋司氏の方法論の限界を示すものではないか。
 丸山晋司氏がどう表現しようとしも、それは「神武天皇がいたかいなかったか、判らない」と言うだけのことに過ぎない。「いたかいなかったか、判らない」という主張には「検証可能性」が皆無だ。それを仮説とは言えないのである。
 神武天皇実在説は次のようなロジックである。

①『古事記』『日本書紀』を見ると神武天皇の実在が記されている。
②この史料の記述を疑う理由は存在しないから、神武天皇は実在したと言える。
③仮に神武天皇の架空を言うならば、『古事記』『日本書紀』の当該記述を疑うに足る充分な根拠を持ってくれば良い(=検証可能性)。

 例えば、それに同意するかしないかはともかくとして、『魏志』「倭人伝」の現行の刊本における「邪馬壹国」が「邪馬臺国」の誤字であると言う仮説は、次のようなロジックであり検証可能性を持っていた。

①現存する『魏志』以外の刊本(『隋書』や『後漢書』)を見ると「邪馬臺国」と記されている。
②『魏志』「倭人伝」において「邪馬壹国」が登場するのは一か所だけ、しかも「壹」と「臺」との字形は相似しており(誤字があり得る)、『隋書』や『太平御覧』は『魏志』からの引用として明確に「邪馬臺国」であったと記していることから、本来の『魏志』の原本の文字は「邪馬臺国」であったと言える。
③仮に邪馬壹国説が正しいと言うならば、『魏志』からの引用として「邪馬臺国」とある史料が信用できないと言う論証をすればよい(=検証可能性)。

 もしもここで「私の仮説は『邪馬壹国か、邪馬臺国かは判らない!』というものだ」と言う人が出てきたら、それは最早「相手にする必要がない仮説」であろう。何故ならば検証可能性が無いからである。
 なお、仮にもしも神武天皇架空説を主張するならば、次のようなロジックが必要となるであろう。

①神武天皇の実在を前提とすると説明できない史料事実が存在する(実在説における「検証可能性」への反論)。
②従って『古事記』『日本書紀』の神武天皇の実在に関する記述は信用できない。
③この結論を否定したいのであれば、①の史料事実を神武天皇の実在を前提として説明して見せればよい。

 しかし、実際にはそもそも津田史学は①の説明すらも出来ていないのであるから、論外。
 「邪馬壹国」と「邪馬臺国」という「一字違い」の話であれば「写本の写し間違い」という仮説も成り立ちうるが、神武天皇に関する記述はそういうレベルではない。
 「上代の史料を読むと、これは神武天皇が実在した余地は無いぞ!」というようなことを言えるだけの上代史料は、そもそも存在しないのである。存在しない以上、丸山晋司氏みたいに「いたかもしれないし、いなかったかもしれない」という話となりかねないが、そのような検証可能性の無い仮説に陥ってはならないこと、明白である。
 「現存する史料には神武天皇の実在を否定するだけの論拠は無い」――この事実を認識する限り、神武天皇実在説に経つべきことはあまりにも当然なのである。
 もっとも、丸山晋司氏は新羅年号については「あったか、なかったか、判らない」ではなく、明確に「疑っておくべき」説のようである。

 丸山晋司氏は史料を疑うのであれば「その部分について、論証しなければならないのは当然」と言っている以上、その論証をされることを望む。「金石文に記されていない」と言うのは「なかったこと」の理由にはならないからだ。
 「疑う」だけであれば、結局「新羅年号はあったかもしれないし、なかったかもしれない」という「検証可能性の無い」主張に陥らざるを得ない。失礼ながら、ツイートを読む限りにおいて、丸山晋司氏の主張からは「疑わざるを得ない必然性」を一切感じないのである。
 例えば、丸山晋司氏が「新羅が年号を持っていれば○○という史料が残るはずもない」というような主張をしていれば、それは「検証可能性」のある仮説である。
 「金石文(或いは、一次史料)に無いから造作の可能性がある」等と言えば、神武天皇に対する立場と大同小異となるであろう。
 神武天皇も新羅年号も、その実在を否定する論拠が出てこない限りは、その実在を前提として論ずるべきなのである。

付記――大国主命の伝承について

 丸山晋司氏が次のようなツイートをして私の方法論を批判されている。同様の逸話は確か、原田実氏もツイートしていたと記憶する。

 これについては私は詳しい知識は無いが、「大国隆正の伝承である」と言う他の老人の証言の方が有力だと言うのであれば、それは「検証可能性のある仮説」である。もっとも、老人たちの主張のどちらが信用できるかについて「常識」で判断する、という丸山晋司氏のスタンスは学問的であるとは言えないのではないか。
 私は近世史には詳しくないので、大国隆正については偉大な國體学者である事しか知らず、「大国隆正が村人を困らせるほど女好きであった」というような話を聞いたことが無いのだが、仮にそういう史料があれば「大国隆正の伝承だと言う方が信用できる」となるであろう。しかし、大国主命が女好きであることも『古事記』『日本書紀』には記されているから、そういう史料を見ていない段階での古田先生の判断が一概に誤りであるとは言えないと考える。

ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。 拙い記事ではありますが、宜しければサポートをよろしくお願いします。 いただいたサポートは「日本SRGM連盟」「日本アニマルライツ連盟」の運営や「生命尊重の社会実現」のための活動費とさせていただきます。