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昔のお正月「建国記念の日」

 今日は建国記念の日です。私のような保守系野党の人間にとっては、どう発言しても左翼からもネトウヨからも攻撃される日でもありますが(笑)、批判を恐れず建国記念の日を祝わせていただきたいと考えます。
 平成26年(西暦2014年、皇暦2674年)の建国記念の日に、立憲民主党の前身政党の一つである生活の党代表であった小沢一郎先生が「紀元節は神武天皇のご即位なさった日だ」「桓武天皇のお后様(※文脈から、お母様)も百済の王女だった」と言うと、左翼からは「紀元節」という言葉を非難され、ネトウヨからは「韓国に媚びている!」という批判を受けました。
 だいたい左翼とネトウヨの双方から非難される政治家は大抵良い政治家です。韓国の血が皇室に入っていることも歴史的事実であり、ネトウヨがどうして韓国を異常に嫌悪するのか、私には理解できません。
 次に「紀元節」という言葉ですが、これは私個人としては「建国記念の日」でよいと考えていますが、「紀元節」という言葉にも深い意味があります。
 釈迦に説法かもしれませんが、どうして「記念の」の三文字が入っているのか、と言うと、建国の正確な日付は判らないからです。
 例えばイエス・キリストの正確な誕生日も判りません。『聖書』のどこにもイエス・キリストの誕生日はかかれていないからです。
 しかし12月25日にイエス・キリストの聖誕を記念することになっています。それがクリスマスです。
 日本の場合は旧暦のお正月の元旦に国家の誕生日も祝っていました。何故ならば『日本書紀』によると神武天皇は元旦に即位されたことになっているからです。
 太陽暦導入の際、当時の元旦である2月11日を紀元節と定めました。それが今の建国記念の日の前身です。
 つまり、元旦と言う年紀の始まりだったから紀元節というのです。
 今でも会社や団体の創立の日をキリの良い日にすることはよくあることです。旧暦のお正月を建国記念の日にした背景には、日本人がお正月を大切にしてきた歴史が込められています。
 『養老律令』では正月の1日と7日、そして正月が終わった翌日の1月16日の3つの日に節会という陛下主催の行事が行われるよう規定がありました。それぞれ「元旦節会」「白馬節会」「踏歌節会」と言います。
 もっとも、実は神武天皇の時代に日本が「国家(state)」という意味で成立した、とは『古事記』にも『日本書紀』にも記されていません。
 『古事記』『日本書紀』共に崇神天皇を「御肇国(所知初國)天皇」としています。つまり、初めて国家を統治したのは崇神天皇だということです。
 なお神武天皇については『日本書紀』に「始馭天下之天皇」とあります。生半可な知識で神武・崇神同一人物説を唱える方がいますが、漢字が違うからには意味が違うと考えるのが適切です。
 『古事記』や『日本書紀』によると、初めて徴税の制度を定めたのが崇神天皇でした。徴税権の確立は国家の要素の一つですから、それを「初めて国家を統治した」と表現されたのでしょう。
 なお、我が国が「帝国(empire)」となったのは大宝元年(西暦701年、皇暦1301年)3月21日であると、私は解釈しています。
 それではどうして神武天皇が初代天皇とされたのか、については色々な考えがあります。
 仮に天孫降臨を統治の正統性の根拠とするならば、瓊瓊杵尊が初代天皇になっていないとおかしい訳ですが、神武天皇が初代天皇とされたことは神武天皇がやはり特別な御存在であった証左です。
 それは、私は神武天皇の詔にある「苟も民に利あれば、何ぞ聖造に違わん」という言葉に代表される神武肇国の精神が我が国の根幹にあるからであると考えています。
 建国記念の日においては、特に政治に携わる者ならば「民に利」のある政治を誓わなければならないのでは無いでしょうか?
 私は「皇恩に感謝せよ」が信仰の根幹です。天皇陛下への報恩感謝の意も込めて「国民の生活が第一」の政治を行えるよう、微力ながら最大野党の一党員として励ませていただきます。

※なお、過去に私が神武天皇の実在について論じた論稿のリンクを貼らせていただきます。
http://furutasigaku.jp/jfuruta/kaiho161/kai16103.html
https://www.sejp.net/archives/4872

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