政権批判は「桜」ではなく「竹島の日」式典問題で行うべし
本当にくだらない。「桜を見る会」における国会論戦である。
そりゃ、私も安倍政権の桜を見る会には問題だらけだと思っている。何しろ、桜を見る会にキャバ嬢を招聘した政府なんか、前代未聞。お里が知れる。
その上、違法な支出まであったのならば、問題はあると言わざるを得ないだろう。が、そんなことで国会欠席まですることなのか?
今の立憲民主党の追求を見ていると、私が連想するのは陸山会事件での「国策捜査」である。そう言えば、立憲民主党のメンバーは陸山会事件で国策捜査を推進した張本人たちだ。
今回の桜を見る会の件はあくまで「形式犯」であり、陸山会事件や西松建設事件と同様のケースである。そんな「形式犯」で国家の宰相を訴追できるわけが、無い。
こういう問題は刑事責任ではなく政治責任を問われる問題なのである。例えば、
「なんで桜を見る会にキャバ嬢を招聘したのに、明治維新記念式典には天皇陛下を招聘しないのだ?政府にとって陛下よりもキャバ嬢の方が大事なのか?」
等という批判を行うならば、価値があるだろう。もっとも、それならそれで、委員会を欠席するのではなく、出席したうえで批判を展開しないといけないが。
そうこうしているうちに、こんなニュースが入ってきた。
衛藤領土担当相 竹島の日式典「行こうと思ったが…」例年通り見合わせ
毎日新聞2020年2月18日 12時31分(最終更新 2月18日 17時18分)
衛藤晟一領土問題担当相は18日午前の記者会見で、島根県などが主催する「竹島の日」記念式典について「私が行くとか副大臣が行くとか仕掛けようと思ったが、まだ仕掛けができない」と述べ、自身の出席を見合わせる考えを示した。22日の式典は藤原崇内閣府政務官を派遣するとし、「例年通りやるしかない」と渋い表情を見せた。
政府は第2次安倍政権発足後の2013年以降、毎年式典に政務官を派遣する一方、より格の高い閣僚や副大臣の出席は見送ってきた。これに対し、超党派の「日本の領土を守るため行動する議員連盟」は今年2月、竹島は日本固有の領土であると強く発信するため衛藤氏の式典出席を要請した。議連の役員を務めてきた衛藤氏は、出席が可能かどうか、首相官邸と調整を続けていたという。
衛藤氏は会見で「竹島の問題は領土問題として何とかしないといけないが、新たな戦略も方向も定まっていない以上、例年通りやることが望ましい」と説明。政府としては、慰安婦問題など懸案を抱える中で、韓国側を過度に刺激することを避ける狙いとみられる。【堀和彦】
この記事を読む限り、衛藤大臣の「竹島の日」式典出席を首相官邸が許可しなかったということになる。
だが、そもそも、自民党は平成24年(西暦2012年、皇暦2672年、仏暦2555年)の衆院選公約で「政府主催の竹島の日式典を開催する」と明記していたのである。
しかも、その時安倍総裁は何と言っていたか。「公約にはできることしか書かない」と言っていたのだ。
じゃあ、当然、どうして出来ることをやらないのか?と、野党は批判するべきである。
議会制民主主義の国において、もっと重要な問題は「形式犯」以上に「公約違反」をすることである。
ましてや、「できることしかやらない」と明言していた以上――実際、この公約が「できること」であるのは論を待たないが――それを果たせなければ責任を追及される、それは当然のことだ。
ところが、安倍政権のそうした公約違反はスルーする今の立憲民主党は、安倍政権について肝心のことを批判しない訳だから、政府に塩を送っているだけ、安倍政権の補完勢力とも言うべき状態である。
無論、ただ単に公約を実現できないだけならばどこの政府でもあることだが、安倍政権の場合は『日韓慰安婦合意』を始め、公約と正反対のベクトルの政策を推進している。
だが、だからこそ、『日韓慰安婦合意』に賛成な野党も安倍政権への本格的な批判には踏み込めないのだろう。
こうして「売国無罪」の八百長国会が続くのであった。