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コースター復活に感じた「東京ディズニーシー・ルネサンス」

先日、ひとつの朗報がディズニーファンのタイムラインを駆け巡った。それはささやかながらも多くの希望が詰まっており、パークのこれからがきっと明るく素敵なものになるであろう可能性を見出せるモノだった。
先立ってTwitterで僕の解釈を綴ったところ、ありがたいことに多くの好評を頂くことが出来たため、本日は改めてこの場でより詳しくお話していきたい。

復活するとは夢にも思わなかった

東京ディズニーシーが23周年に沸いた一昨日9月4日、ささやかではあるがとても嬉しい報せをX(Twitter)のタイムラインで目にした。アメリカン・ウォーターフロントにあるバーラウンジ「テディ・ルーズヴェルト・ラウンジ」のコースターが、無地のものから同店オリジナルのロゴ付きのものへ変更となったのだ。

2001年のグランドオープンから長らく、テディでは件のコースターが用いられていたのだが、2023年の11月ごろから長らく姿を消していた。グラスの滴を取る目的そのものは無地でも十分に果たせるが……いうまでもなく味気ない。僕自身も今年の4月に同店を訪れた際に感じたのだが、重厚な店内の雰囲気と磨き上げられたグラスが素晴らしい雰囲気を醸す一方、白一色の無機質なコースターは異物感を否めなかった。

「これも時代の流れなのかなぁ……」
寂しさを覚える一方、諦めの気持ちも強かった。
思えば、当時よく足を運んでいた米国系ホテルのバーでも布製のコースターが廃止され、テディと同じものに変更された。コースターや紙ナプキンの類は気軽にオリジナルのものを作れる一方、コストカットが必要になった際には真っ先に刃先が向けられる。加えて残念なことに、復活の可能性は限りなくゼロに近い。金庫番や経理担当にとって、一度出費が浮いた旨味はなかなか忘れられないからだ。
ゆえにテディのコースターも、思い出の中にのみ残るモノとなってしまったかと肩を落としたものだった。

グランドオープン日を祝う最中にこんな吉報が舞い込むとは、文字通りの嬉しい誤算だった。コースター1枚で大げさだとお思いの方もいらっしゃるかもしれない。しかしながら、テーマパークに限らずカフェ・レストラン・ホテルなど、あらゆる業種で質の低下が著しい今日にこうした変化があること自体が驚きだ。

コースターを再びオリジナルのものにしても、売上が上がる可能性は低い--それこそ、ゼロに近いほど。それにも関わらず、お店とパークの雰囲気や質感、さらにはゲストの体験価値がより良いものになると信じて案を出し、予算を承認してくれた人がいる。そしてこの変化に元Twのばっさーさんが気付き、僕を含め多くのファンが歓喜した。たしかに変わったモノはコースター1枚だが、一連の流れに携わった方々へ想いを馳せると、感慨深い気持ちを抱かずにいられない。
(大きな会社で稟議を通すって大変なのよ……)

思えば今年は、細やかながらも嬉しい変化を感じることが多い。
4月9日から6月30日まで開催されたスペシャルイベント「ドリーミング・オブ・ファンタジースプリングス」では、ディズニーシー・プラザへ毎日ファンタジー・スプリングス誕生までのカウントダウンが投影された。日替わりの投影映像を誕生前日までの全日分準備する様には、2パーク体制になる前の東京ディズニーランドを彷彿とさせる華やかさがあった。

更に驚いたのはプラザのデコレーションだ。メディテレーニアンハーバーへ続くパッサッジョ・ミラコスタへ掲げられたバナーに加え、月の満ち欠けを表す路面のタイル装飾に各テーマポートを紹介するデザインが加えられた。それも一斉にではなく、実際の月の満ち欠けにタイミングを合わせてだ。

デコレーションの美しさもさることながら、タイミングまで合わせていたと知った時には思わず溜息が出た。集客力や合理性を考えたら、イベント初日に一気呵成に仕上げてしまう選択肢もきっとあっただろう。クリスマスやハロウィーン期間前後のパークの変わり様を目にすれば、バナーやタイル装飾を一夜にして全て展開できることは容易に想像できる。

それでも敢えて、このタイミングを発案した人がいる。プラザの路面が月の満ち欠けを表しており、奇しくもファンタジー・スプリングスがオープンする6月6日が新月であることに気付き、ドラマティックな流れを考え出した人が。加えてこの粋な計らいに魅力を感じ、予算も工期も割増しになることを承知の上でGoサインを出した人がいる。そして最後に、BGS界隈を筆頭に知的探求心旺盛なゲストの方々が、この一連の試みに気付き、感嘆した。

今は再び高みを目指すためのルネサンスではないだろうか

少し前まで、レストランのテーブルウェアやパークのデコレーションについては肩を落とす報せが多かった。各々のレストランで用いられていた個性的な食器の多くが姿を消し、2パーク共通の紙皿へと置き換わった。35周年以前と比べると寂しさを否めなかった40周年の装飾も記憶に新しい。
Covidがあったことやカリナリーキャストさんの負担を考えればやむを得ないこととわかっていても、味気なさや寂しさはやはり否めない。いつかは往時の華やかな飾りつけやレストランの風景が復活してほしいと、心のどこかで願わずにいられなかった。

こうした去年までの流れを回想すると、今年のパークの変化はまるで夢のようだ。皮肉屋や冷笑主義者は「些細な変化で喜ぶとは」「ちょろい連中だ」と嘲るだろうが、所詮連中は評論家止まりの日陰者だ。気にする必要もなければ、目を向ける価値すらもない。

もちろん、ささやかな変化であることは否めない。けれど大きな変化はなにもドラスティックに起こるモノばかりではない。小さな変化が連鎖することで大きな潮流を生むことは往々にして起こり得るからだ。大事を成した経験のある方であれば、この変化の過程にきっと共感頂けるものと信じる。

僕は今年起こった一連の変化を、東京ディズニーシーにおけるルネサンス(再生)と見ている。
この微かな変化の連続に希望を見出し、期待を込めてこれからのパークを見つめていきたい。

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