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四国旅行3日目[2022.11.29]

最終日。朝から雨が降っている。昼頃に雨が強く降るらしい。

昨日の夜コンビニで買ったおにぎりとサラダで朝ごはんを済ませ、ホテルを出る準備をする。桂浜にはバスで行く。バスなんてバス停で待っていれば何本でも来ると思っていたが、これは都会人の感覚でした。1時間に一本しかこない。

8時台のバスは逃してしまい、次のバスを待つのも時間がかかるから、レンタカーで行くことにした。
出勤の人が多いのか、道がだいぶ混んでいる。

9時前に桂浜に到着。すでに大雨。天気のせいか、広々とした駐車場はガラ空きである。

まずは坂本龍馬像!これが見たくて来たと言ってもよい。

続いて、坂本龍馬記念館に入る。坂本龍馬はもちろん、明治維新についての詳しい展示がある。
龍馬はたしか裕福な商人の家庭に生まれている。18歳で土佐を離れ、江戸で剣術を学ぶ。この頃、兵学者で思想家の佐久間象山の私塾にも入っている。江戸に来た直後にペリーが来航し、本人にとっても衝撃が大きかったのだろう。

記念館には龍馬が土佐の家族に送った手紙の複製がある。こういうものを見ると、まだそれから200年しか経っていないのか、という不思議な感覚に陥る。

薩摩藩と長州藩の仲介に奔走した龍馬だったが、この時代に藩と藩をつなぐという発想ができる人間がどれぐらいいただろうか。おそらく、土佐の人間も自分が日本人とは思っていないだろう。龍馬に影響を与えた人間の一人に、久坂玄瑞がいる。彼は松下村塾において高杉晋作と並ぶ双璧だった。彼が龍馬に言ったのは、国としてひとつにまとまるのであれば、藩がひとつ潰れようがまったく構わない(という趣旨だったと思う)というものだった。

明治維新期には、多くの若い志士が生まれた。彼らは、既存の枠組みを根本から疑うような視座を持っていたと言えるだろう。
今日の世界も、枠組みから疑っていかなければいけないものはたくさんある。今日の世界のベースは18世紀ヨーロッパの市民革命にある(と個人的に思う)。ここで生み出された民主主義に代表されるイノベーションが、果たしてデジタル中心の21世紀においても最適な仕組みなのだろうか。維新が中世の超克なのだとしたら、今求められているのは近代の超克なのかもしれない。

とはいえ、日常の連続からそうした改革を進めていくのは難しいだろう。明治維新の志士たちが根本から疑うような改革ができたのは、そもそも徳川家が国家の軍事警察に対する人事権を奉還するという、鎌倉以来のシステムの大変換があったからではないだろうか。激動の時代だったからこそ、できたのではないか。

そうしたことを考えながら、記念館をあとにした。地下の写真展が非常にかっこよかったですね。明治維新期に活躍した人々のパネルが展示されています。

昼ごはんの時間だ。土佐に来たからには鰹を食べなければ。

めちゃくちゃ美味しかったです。土佐に来たときはまたここに来たい。

昼からは、自由民権記念館を訪れた。なんといっても立志社は高知に始まっていますからね。自由民権運動は、不平士族に対する授産が不十分だという考えがベースにあると思う。
明治以来、政府は士族の雇用を作り出すために北海道開拓使や征韓論に注力してきた。だが、ヨーロッパを見てきた岩倉使節団は、富国強兵を優先する。士族授産を十分達成できないと判断した板垣退助は、藩閥政治を批判。全国から政治家を産み、さらには国会を創るため、自由民権運動の全国組織化に走った。

政党も作った板垣退助だったが、政府の弾圧や党内の対立から解党を余儀なくされる。自由民権的な規範が当たり前となるには、敗戦によるGHQの改革を待たねばならなかった。長い目でみるとそういうことになるのだと思う。

自由民権記念館は植木枝盛の紹介にも力が入っていましたね。

土砂降りの高知をあとにして高松まで戻り、また高速バスで三ノ宮まで帰りました。

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