見出し画像

日光[2023.2.14]

今回の旅行最終日。少し時間が経ってしまったので思い出しながら書く。朝は朝食付きで、あらかじめ席に料理が置いてあった。ご飯と味噌汁はセルフサービス。

荷物をまとめてチェックアウトをし、駅に向かった。雪は解けずに残っているが、そこまで冷え込んでいるわけではなく、快晴で空気は澄んでいる。下今市駅から見えるのは恐らく男体山や女峰山、太郎山だと思うが、山頂は白く覆われていて、雪を稀にしか見ない人間からしてみれば幻想的とも感じられる。

車内はほとんど乗客がいない。30分ほどで鬼怒川温泉駅に到着。荷物をロッカーに預け、鬼怒楯岩大吊橋を見に行った。天気が良いので朝から非常に良い散歩。標識がなく、なかなかたどり着かないのでグーグルマップを見たら、行き過ぎていることが分かったので引き返した。

大吊橋からは鬼怒川の渓谷を望むことができる。鬼怒川は日光国立公園内の鬼怒沼を源に発し、最終的に利根川と合流する。鬼怒川を女性、吊り橋の向こうの楯岩を男性と見立てる縁結びの橋とされている。

駅に戻るとたまたまSLの入れ替え作業をしていた。汽笛をならし、蒸気をあげながら回転している。SL大樹と呼ばれる蒸気機関車で、東武鉄道が下今市駅と鬼怒川温泉駅間で運行している。2017年に51年ぶりに再開されたとのこと。子ども連れの客が楽しんでいた。

朝は人の少なかった駅構内も、昼前になると旅行客で埋め尽くされている。学生が多い感じがした。下今市まで戻り、乗り換えることなく日光駅に到着した。降りていく乗客のほとんどが学生っぽい。卒業旅行かな?

東照宮までバスも出ているが、歩きでもいけるということなので歩いて行くことにした。お昼ご飯を食べる店を探しながら歩いて行く。歩いて上る人も結構多いですね。

観光地だからどの店もそこそこ値段が張るのだが、湯葉そばの店にはいりました。まるで卵焼きのように巻かれた湯葉が入っている。湯葉って大豆からできるんですね。

すっかりお腹が空いていたので、これで元気になった。再び坂を上っていく。やがて深い木々に囲まれた日光の社寺が見えてきた。最後の横断歩道の信号が異様に長かったのを覚えている。

階段を上った先に見えてくるのは、輪王寺である。日光には東照宮しかないと思っていたが、大間違い。そもそも日光山は奈良時代末期の766年に勝道上人が開いたものである。本堂である三仏堂は円仁の創建で、したがって日光山は天台宗の大本山である。

鎌倉期には将軍の崇敬を受け、男体山・女峰山・太郎山を御神体とし、千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音を神の仮の姿とする神仏習合の様相がみられる。秀吉の小田原攻めの際には北条氏方についたため寺領を没収され、一時衰退したとのこと。

江戸に入ると幕府のブレーンであった天海が輪王寺の貫主となったことから、復興を遂げる。天海は家康の遺言通り、家康の御霊を東照大権現として祀った。現在の絢爛たる東照宮は3代家光によって建て替えられたものである。その家光は大猷院に眠っている。

明治維新後は政府による神仏分離令のため、寺院は輪王寺、神社は二荒山神社と東照宮に分けられた。

流れはこの辺りにして、輪王寺の三仏堂はかなりのインパクトがある。中は写真撮影ができないが、三体の観音・阿弥陀如来に圧倒されたのを覚えている。

東照宮は拝観料が1000円を超えるが、それぐらいの価値がある。陽明門の威圧感がすごい。徳川幕府の威光を示していると書いてあったが、本当にその通りだと感じた。カッコいいので、何枚も写真をとっていた。

何が陽明門をこれほどカッコよくしているのか?金箔をふんだんに使っているのももちろんそうなのだが、屋根の反り返り方とか、詰組ではないだろうか。多分。建長寺にしても、日光の陽明門にしても、今回の旅行は詰組に魅せられている。

ちらちらと雪が降り出して、だいぶ空気が冷えてきた。奥まで進むと大猷院がある。東照宮が白と金をモチーフにしているのに対して、大猷院は赤と黒がモチーフである。タイミングの関係もあるだろうが東照宮に比べれば観光客は少なく、雪の中で静かにたたずんでいるという印象を受けた。

15時頃に東照宮をあとにして駅まで戻り、特急で浅草まで戻った。浅草で乗り換えて羽田空港行きに乗り、20時代の便で帰った。

今回の旅行で、仏教と神道の関係にいっそう興味が湧いた。仏教公伝に始まって中世には神仏習合が進み、禅は武家政権から厚い保護を受けた。明治政府は神道を用いた国家統一を図ったため、仏教は廃仏毀釈という形で弾圧される。これまで何気なく観てきた寺社をもう一度訪れて、その歴史に触れてみたい。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?