大刀洗平和記念館

ここ菊池市泗水町は戦時中、旧陸軍の飛行場で、あちこちに戦跡が残ってる。

少年飛行兵らが訓練を受ける学校もあって、「大刀洗陸軍飛行学校菊池教育隊」という。

ではと、本隊があった福岡・筑前町の「大刀洗(タチアライ)飛行場」跡地を見てきた。

同飛行場は当時、東洋一を誇る規模で、周辺には各種商店や娯楽施設などが林立して、一大軍都が存在してたという。

そんな場所を米軍がほっとくわけもなく、戦争終結の直前(1945・3)に大空襲が行われて、壊滅的な被害を受けて、民間人を含む多数の死傷者が出たのは言うまでもない。

また、同飛行場は、特攻隊の中継基地でもあって、たくさんの隊員らが出撃した。

メインの「筑前町立大刀洗平和記念館」を見学してきた。

いきなりモノホンの零戦が展示してあって、日本の戦闘機や航空技術の歴史がわかる仕組み。そして、飛行場の歩みや周辺の様子など軍都の実態を紹介。次に、15分ほどのフィルムを見せられる。最後は、やはり特攻隊。鹿児島・知覧の特攻会館みたく、遺品や遺書等の展示であった。

多くの子供たち(小学校があった)がB29の空襲の犠牲になっていて、その規模は沖縄に次ぐという。教師に先導されて逃げた先の森に爆弾が落ちたのだ。

知覧もそうだったが、「多くの若者が、愛する日本と家族を守るために散って行った。このような尊い犠牲の上に、今の平和と繁栄がある」みたいな、ある意味、真実を語ることなく、愚かな精神主義を美化した作りで、ここもか…と白けて溜息が出たね。

“笑って散って行った”なんてほとんどウソだと思う。表面的にはそうでも心の中は深い絶望と迫り来る死に対する恐怖と葛藤があったに違いないからだ。

責任を取ることのない、ヒロヒトを頭目とした老人どもに煽られて、10代、20代の若者が散々シゴかれて、半ば無理矢理、零戦に乗せられたのだ。

尊い犠牲?全くの無駄死にだよ。今の平和と繁栄?人間を蔑ろにする唯一資本主義だし、戦争は終わってねえよ。

よくもまあ、真実を伝えることなく、“平和の大切さを感じろ”なんて言えるものだね。

その後、近くのサ店で食ったオーガニック・ランチは美味しかったねー。

続けて3時間も運転するとボロボロに疲れるね。片麻痺は困るぅ。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。