「異教徒の旗印」

「愛する時と死する時」に続いて、ダグラス・サーク監督の「異教徒の旗印(Sign of the Pagan)」(54年、米)。

舞台は古代ローマ。ローマに攻め入ろうとしてる異教徒であるフン族の王アッティラと、ローマ皇帝の命によって東ローマの独立を阻止する使命を帯びたローマ軍の百人隊長マーシアンの闘いがストーリーの基本。

アッティラが、色が黒くて幅広い野性的な顔をしてて、いかにも異教徒って感じで面白い。

ローマ皇帝の妹ブルケリア姫とアッティラの娘クブラが、それぞれマーシアンに想いをかけてて、アッティラとマーシアンの2人の男たちの運命を左右するのだ。

クブラはマーシアンに父アッティラの総攻撃を密告して父に殺され、ブルケリア姫はマーシアンらと反乱を起こして皇帝を退位させて自ら摂政となり、勝利の末にマーシアンと結婚する。2人の女は明暗ハッキリと分かれたわけだ。

しかし、アッティラは娘を殺した罪を恐れてか、異教徒の立場からキリスト教に対し異常な畏れを抱くようになる。占い師が総攻撃の中止を予言したことから、突如退却を命じて北方に移動中に、待ち伏せていたマーシアンの部隊に襲われる。そして、ブルケリア姫に非情にも刺されて死んでしまう。刺した時のブルケリア姫のアッティラを見下すような表情がマジで怖い。

まず絶対的な存在として神があって、天候などの自然現象も全て神の意思であり、多数の軍を率いるリーダーであっても、常に側に占い師を付けて、重要な場面での決定も占いに頼る。観念論が全ての世界は生きづらい気がするなぁ。これも神の意思と死を受け入れやすくなるという面もあるけど。

人間は文明を築いた時から、なぜ皆平等に捉えずに王や皇帝、貴族、平民、奴隷と差別的な階級を作ったのだろうか。きっとそれが人間の本質に根差したものであるからに違いない。争いも戦争も同様だ。逆に考えれば、近代、人間はなぜ平等じゃなきゃいけないのだろうか?なぜ戦争はダメなのか?
ーー観ててそんなことをツラツラと考えた。

画像1

画像2

画像3

画像4


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。