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チブサン、オブサン古墳

去年のFBより。

片麻痺オヤジの山鹿古墳探訪。

山鹿市立博物館と近くのチブサン、オブサンの両古墳だ!

前回の装飾古墳館の近くにあって、Google Mapsを見たら、意外とトンカラリンも近いじゃないか。次回に行こうっと。

市立博物館は、「菊池川流域に所在する貴重な文化財を保存・展示する」がウリだけど、文字だけの資料が多く、実際の遺物は石器や鏃、バラバラの土器、銅器、埴輪など、少なくてイマイチ。

ただ、1センチにも満たない小さな勾玉に、しっかりと穴が開けてあったのが展示してあり、どういう技術でやったのかは謎だとあって、俺もふーんと感心した。オーパーツじゃないけど、歴史の流れの中で、後世になっても不可能な失われた技術があるのかもしれないね。

中では山鹿市の祭囃子がピーヒャラピーヒャラ、チャカポコチャカポコとずっと流れてて、なんか学術的な博物館らしくなくて笑っちゃったよ。

そこから歩いて10〜20分くらいのところ、地元の畑の中にチブサン古墳、オブサン古墳はある。今はチブサンの中を見るには申込みが必要で、オブサンは熊本地震で立入禁止。中を見たかったけど、時間が合わなくて断念。

チブサンは6世紀ごろのカラーで絵が描かれた装飾古墳。その絵の一部がパイオツのように見えるから乳房さん→チブサンと呼ばれるようになったというが、俺には普通に二つの眼にしか見えない。名付けた人はきっといやらしいヤツだな(笑)。
それよりも横の、頭に三本のツノがある万歳をしたような人型の絵が興味深いね。「ムー」だったら、古代にココにやって来た宇宙人なんて分析しそうで。

オブサンは「産さん」で安産の神様として信仰されてたらしい。
古代の豪族(多分)の墓も後世になっていろんな使い方をされるものだね。

この周辺にはけっこうたくさんの古墳があって、大きな墓場か祭り事を行う場所だったのかもしれない。
「肥後古代の森」と称する公園みたくなってるけど、寂れすぎて遊歩道も枯葉とコケだらけになってる。歩き回って良いリハビリにはなったと思うけど、設置された埴輪みたいな石像もコケだらけで、それ自体がもう遺物になりつつある。

週末でも人もいない静かな場所だったけど、博物館の隣にある閉鎖となったサイクリングターミナルが廃墟のようになってて、俺的にはこっちも面白かった。これはこれで歴史ではある。

あっ、そうそう。ここは西南戦争・山鹿口の戦いがあった場所で、戦没者慰霊碑もあるんだよね。また昔の街道でもある。よく知らないけど。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。