「父への手紙 カフカ全集」

マックス・ブロート版カフカ全集。

カフカの、不安を基礎とした作家性を育てたのは、父親との関係だった事がわかる。父という有無をいわせない大きな存在と、何をやっても父親を超えることなんてできない、と諦めている、とても小さな自分と。

なかなか中に入ることが叶わない、そして、理由もなく阻害される…カフカの小説には、このことが象徴されているのではないか。

この「父への手紙」、いつものカフカらしく、幼少期からの父親の所作諸々、これでもかというほどに事細かに綴って分析していて、マトモに読むことが苦痛となってくるほどであるが、実際には、この手紙を父親に渡すことはなかった。

始まりからしてこうだ…。

「愛する父上。
僕があなたを怖がるというのは、一体どういうわけなのかとあなたは先日私にお尋ねになりました。
僕は例によって例のごとく、何とも返事ができませんでした。
それはやはり僕があなたを怖がっているためでもありますが、その気持ちを説明するには、色々と細かい点に触れなければならず、話をしながら、それをまとめ上げられそうもなかったからです。
そこで僕は今のあなたに手紙でお答えしようというわけですが、やっぱり意を尽くせないものになってしまいそうです。
こうして書いていても、恐怖とその結果は、あなたに対する僕の気持ちを阻みますし、素材の大きさは、僕の記憶力や理解力を遥かに超えたものなのですから」

恐らく、カフカにとっては、父親は強権的な怖い存在だったのだろうが、息子にとって、それは珍しい特殊なことでもない。

ただ、カフカの内には、あまりにも細かい、自分を傷付けるほどの繊細な神経が育っていたために、父親を覆すことの不可能な、生涯に渡って自分に関わって来る“壁のような人”として捉えてしまったのだと思われる。

カフカの内には、なぜ、こんな丸裸の神経が育ってしまったのだろうか?

カフカとは逆であるが、俺も、確かに、晩年、父親は憎むべき存在であった。彼のあまりにも、小さな、世間体を気にする小市民的気質に、自分にもそういう遺伝子があるという諦めと絶望感しかなかったように思う。

父親とはなんだろうねぇ。

少しづつ読み進めているが、凄まじくて、とっても疲れるよ。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。