「クレイジーカルチャー紀行」

俺にとっては、とてもエキサイティングな本だった。

ケロッピー前田さんによるボディサスペンション、身体改造等のカウンターカルチャーのレポート。

残念なことに終わってしまった民放TV局の番組「クレイジージャーニー」でも一部は紹介済み。

俺も、20年くらい前からボディピアスやtattooにハマっているので、興味津々で一気に読んだ。

今は都落ちして田舎に落ち着いてはいるが、ボディピアスでもtattooでも、また施したいという思いは消えない。

この本には、世界の、もっと過激で進んだ身体改造等が紹介されてるが、これらの魅力ってなんだろう?何で痛い思いまでして特異な身体を手に入れようとするのだろうか?

きっと人間の本質に根ざす欲求が関係しているに違いないと思う。人間は、初めて自ら火を扱うことをはじめとして、太古から欲と知恵を得ることによって自然からの独立を義務付けられてきた。これは他の生物が持ち得ない人間だけに許された営みである。人間は本能的にそうした行為を知っていたのではないだろうか。

自然からの独立、つまり、人間の文化とは、自然からの独立心の表れ、自然からの呪縛を解こうともがく必死の叫びなのだ。自然から生まれた自然の存在である人間が、食う、寝るといった自然の欲求以外に、知恵を持ち、文化を創ることは、最終的には、不可能なことかもしれないが、自然を征服し、自然から独立しようとしているとしか思えない。そこから先鋭的な時代を創る文化も生まれてくるのだ。ボディピアスもtattooも今に始まったことではなく、5300年くらい前からある。

古代の先人達がなぜわざわざ肉体を傷つけ、痛みを受け入れてまで穴を穿ち、異物を挿入し、絵を描いて、身体を装飾していたのか。それはもちろん、自然からの独立と自由を確認したのに違いない。人間自身の存在の確認に違いない。自然の呪縛を解くために違いない。身体改造とは、そうした人間の文化的営みの最も根元的なものであることから来ているのだろうと思うのだ。

こうしたカウンターカルチャーを一部の怪しい反社会的なものと捉えるのではなく、新しい価値観や世界観の探究であると見るなら、やはり自分の身体は自分の自由にどう改造しても良いのだ。

つまりは、改造された身体を通じて人間とは何かを理解することだ。身体を経験のための媒体として再確立し、観察者ではなく体験者になって痛みを通して身体を感じ取ることなのだ。

数ある身体改造の中で最もビックリしたのはトレパネーションだ。頭蓋骨に穴を開ける行為で、脳を覆う脳膜は傷付けずに頭蓋骨だけに穴を開けるのだ。

穴を開けることで脳内圧が下がって血流量が増大して脳が活性化され、意識の覚醒が起こるという。医学的検証は行われておらず、スピリチュアルに近い感じがするけど、少ないが実践者もいる。ジョン・レノンも穴を開けようとしてたらしい。

穴を触ると心臓の鼓動のように脳が動いてるのがわかるという。同様の“頭蓋穿孔”は約8千年前の石器時代から世界各地で行われ各地で頭蓋骨も見つかってるから、何かあるのだろうが、目的等一切わかってないという。

後半のケロッピー前田さんの自伝?の部分も興味深く読んだ。懐かしいツァイトリッヒ・ベルゲルターも載ってるし。

画像1


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。