「オウム死刑囚 魂の遍歴」

“修行の天才”と言われ、千人以上の信者を獲得したらしい井上嘉浩元死刑囚(去年執行済み)の、麻原オウムにハマって、試行錯誤を繰り返しながらも凶悪犯罪に手を染め、獄中での決別・転向を経て、突然吊るされるまで。

井上は、初期からの信者で高校生で入信してるが、学校でも坐禅を組んだり、仏教やヨガに多大な興味を持ったり、ちょっと“変な”生徒だったらしい。成績も良くて真面目で心優しいというが、逆にピュア過ぎて汚い部分を知らなかったことが、後にオウムにハマってしまう要因になったと思う。他のトップの信者もそういう傾向にあるけど。

何が何でも盲目に教祖さま〜ってわけじゃなく、麻原が高級メロンをムシャムシャ、ブタみたく食いながら説教してて、ホントにこの人について行って良いのか?といつも自問自答しつつ、教義や修行だけには誰よりも真面目に熱心に向き合ってた信者だった。それだけに彼の行動や人望が麻原に嫉妬され理不尽なイジメのような処遇を受けたりする。

オカシイのは明らかに殺人等の犯罪であることも麻原の「ポアしろ」との命令で、やらなきゃ自分の家族が襲われるとの恐怖から手を染めてしまうことだけど、こういう例は犯罪ではなく、仕事だからやらなきゃなどと社会には時折散見することだ。

しかし、何に対しても安易に「絶対」を求めてしまう心情は何なんだろうか。絶対帰依、最終解脱、絶対グル、最終ステージ、最高の存在…。スピリチュアルなんてモノは単なる概念でしかなく、絶対の孤高のステージに行くなんて精神の大きなカンチガイでしかないと思うが。

空中浮遊なんて言ってるけど、坐禅を組んで跳ね上がるなんて練習すればできるようになるだろう。今までになかった至高体験をしたなんて、極限に近い状況に身を置けば脳内麻薬?みたいなものが出て幻覚も幻聴も体験するだろうに。
「絶対」なんてものは絶対にありえないのだ。

家族の助けもあり裁判の過程で麻原と決別した井上はやっと自分が犯した罪と正面から向き合う。オウム事件はまだ未解決の事案も残ってるが、国家が一連の処刑でさっさと処理してしまった。井上の罪に対しての刑罰というよりも、社会転覆を目論んだ連中に対する国家の許さないという強い意志を感じる。

関係ないけど、クンダリニーって、MADMAXのカンダリーニを思い出したwww。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。