【邦画】「まあだだよ」

黒澤明監督の、遺作となった「まあだだよ」(1993年)。

「夢」や「八月の狂詩曲」と同様、クロサワさんの“老い”や“終盤”を感じさせる、とても穏やかな作品だ。ココには大げさなアクションや、クロサワさんならではのダイナミズムもない。

元は、クロサワさんが敬愛する作家・内田百閒(大好き!)の随筆であり、戦中から戦後にかけての、法政大のドイツ語教授・百閒先生と、その教え子達の交流を描く。

百閒先生は、職を辞しても、その人柄で、大勢の生徒達に慕われて、彼の家には、常に生徒達が集まり、鍋を囲み酒を酌み交わす。

また、主演の松村達雄の、ちょっと崩れた感じのインテリぶりが、百閒先生に実にピッタリ。博識からくるユーモアが小気味良い。

タイトルは、高齢となって、なかなか死にそうにない百閒先生に、生徒が「まあだかい?」と訊ね、先生が「まあだだよ」と応えるところからきている。

愛猫がいなくなって、泣き腫らして、食事も喉を通らないくらいに悲しむ他、特に大きなトラブルや危機もなく(戦中を感じさせる場面もない)、観てるコッチも終始、微笑んでしまうくらいの展開で、ある意味、クロサワさんらしくない、静かに流れる川の、澄んだ水のような作品だ。

ラスト、百閒先生は倒れるが死にはしない。当然、無常感も感じる。

また百閒先生を支える奥さんの香川京子の自然な演技が見事だ。ビートたけしが嫉妬したという、所ジョージの演技も、所さんそのまんまで良し。寺尾聰は、うなずくだけで一言も喋らないね。

ちょっと安直な感じもしないではないし、興行的には失敗だったらしいが、俺は好きだ。最後はちっとウルウルきちゃったよ。

映画の出来は別にして、ハッキリとはいえなくてもどかしいが、こういう人の情愛を感じつつ、老いという人生の流れとそこに無常感を感じてしまう作品に感動するのは、まさしく歳を取ったからだろう。

長寿を祝う会で、百閒先生が生徒達の孫に向かっていう。
「皆さん、自分が本当に好きなものを見つけてください。自分にとって、本当に大切なものを見つけるといい。見つかったら、その大切なもののために努力しなさい。君たちはその時、努力したい何かを持っているはずだから。きっと、それは君たちの心のこもった立派な仕事になるでしょう」。

内田百閒、また読みたくなった!


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。