「死とエロスの旅」

タイトルに惹かれて借りた。

壇蜜さんって単なるグラビアかセクシー・タレントかなと思ってたが、けっこう感性豊かな作家(ゴースト?)さんでもあって面白く読んだ。NHKの番組であったんだねー。

ネパール、メキシコ、タイ、三ヶ国の“死とエロスの文化”に触れた旅の記録。

予想できるように、あちらは日常のすぐ側に神という存在を置いて、結果ではなく、代々祈り続けること自体が幸福という概念と同化している。

神への祈りと生活との密着度が日本とは大きく異なる。

最近の日本は神の周辺であっても資本主義がしっかりと組み込まれている(つまり金が動き過ぎる)。

また、死もそうであって、生きているからこそ、死は常に身近にあるのは当たり前のこと。例えば、タイの、隠さずに全ての死をダイレクトにメディアで晒す文化も、そのことを強烈に認識させるのだ。

壇蜜さんは遺体衛生保全士(エンバーミング)という資格を持つが、現場で原型を留めないような残酷な事故の遺体でも、冷静にテキパキと処理するのは女性が多く、男は気分が悪くなったり、その場に居れなくなったりするという。男は遺体と自分とを重ねて見てしまうためらしい。

壇蜜さんも書いているように、生きている限り、死を乗り越えるなんて、やっぱり無理だ。身近な人の死を受け入れて理解できる日なんて、生きている限り絶対に来ないね。死は乗り越えられないもの。だから風化させて儀式化して弔うことで次に進めるのだ。それだけ死は人間にとってとても大きなテーマであり、それだけのエネルギーを持つものだからだ。

本で挙げている三ヶ国は、神も死もエロスも、隠さずダイレクトに表現する文化を持つ。壇蜜さんは、「人の死に触れれば触れるほど、逆に自分の命が尽きることへの想像がつかなくなってしまって怖かった」という。死を恐れるのは生きるための意欲があるからで、怖いということは悪いことではない。

とりあえず俺は、身近では父親の死を経験したわけだが、いろいろとわかって腹が立ったり、腐ったりはするけど、悲しいということはコレっぽっちもない。喪失感も数日だけであった。うーむ。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。