わいふ一番館

3年前のFBより

例の、山鹿市の後輩が、この度無事に神奈川からの引越しを済ませたということで、山鹿のスイカを持って挨拶に来てくれたので、暑いけど、ブラッと菊池市内に行ってきた。

懐メロ流れる思いっきり昭和のサ店「寿温泉食堂」で飯食ってゆっくりした後、前から行きたかった地元、菊池の資料館「わいふ一番館・まちかど資料館」に、障害者手帳フリーで入ってきた。
古くから全国的?に有名な菊池一族や農業、蚕などの産業の資料、数千年も前の木柑子の遺跡、地元出身の文教者の資料など、個人的には興味深いものばかり。後輩はちょい白けてたけど、ヒマそうにしてた案内のジイさんに隅から隅まで説明してもらったよ。

菊池一族って、九州から秋田や北海道まで散らばって行ったんだなあ〜スゲーな。太宰府の高級役人としてココに赴任して、中国、朝鮮との貿易などで栄えたんだ。肥後のあちこちに歴代の墓や城跡が残ってるのだ。今は絶えてしまったけど、菊池性が残ってるから血を引いてるんだろうとのこと。

俺的にワクワクだったのは、二千年も前に、こんなクソ田舎にも人がいて集落があって文明文化があったってことだ。色付きの土器や矢尻、剣などの他、祭に使ったであろうデッカい石の麦わら帽子みたいのが展示してあって、案内のジイさんによると、全国でも最大級にデカイとのこと。
木柑子の遺跡の石の像は指が6本で、雑に作ってあるので、単なる間違いかもしれないが、昔は奇形・異形の者は神の使いと言われてたからそうかも。顔も身体も歪だ。同じとこから、中国の貨幣が見つかってて、熊本では2枚しか出てないそうだが、もしかしたら、この地に盛んに中国人が来訪してたのかもしれない。遺跡の周辺には横穴式の墓跡がたくさんあって、以前ウォーキングで見たときは防空壕かと思ってたが、そうじゃなかった。500くらいあって、横穴式がこんなにあるのは熊本だけだって。

後輩を差し置いて、案内のジイさんと熊本の神風連はじめ、取材に来た三島由紀夫先生の話で盛り上がった後、全盛期の2割という客足が絶えて寂れ切った菊池温泉のHなコンパニオン遊びのことまで聞いてきたのであった。

あんまり菊池に愛着なんてないけど、ちょこちょこ遺跡が残ってて、俺の祖先もいっぱい足跡を残したようで、ウォーキングのついでに見てこよう。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。